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本屋。そしてボクのターザン山本論(てほどのものでもない)。

「鈴木さん、ターザン山本に影響受けてますよねぇ?わかりますよ。絶対そう。間違いない」

関西の大手イベント会社勤務でボクと同じ大学でプロレス研究会出身のT君はボクが編集していたフリーペーパーを読み、ズバリ指摘してきた。

だがボクがターザン山本の文章に触れたのはこのフリペが休刊になってから。初めて読んだのは「往生際日記」シリーズ。世代的には週プロ世代なんですけどね。まわりにはプロレスファン、多かったんですよ。サンデー読んでた頃は「プロレススーパースター列伝」連載されてたので耳年増として知識だけは入ってくるのでどっかのタイミングでターザン山本という名前がインプットされてたんだろう。ちなみに氏の「往生際日記」シリーズを手にとったのはフリペが休刊しボクが一時的にフリーな状況だった頃。とにかくヒマだった。33歳にしてフリー。未来もフリー。つまりなんのアテもなく、ただ辞めたので日々無為に過ごしていた。

三軒茶屋に住んでいたので駅前の漫画喫茶ガリレオで午前中からひたすらマンガ!マンガ!!マンガ!!!水島新司の「ドカベン」プロ野球編や続編スピンアウトが出始めた島耕作シリーズなんかを読みつつ音楽以外のとこからアウトプットを探し続ける日々。

そんな日々の中で三軒茶屋駅近くにあった今はなき某書店で見つけたのが「往生際日記」シリーズだ。読んだ瞬間名作だ!なんて思わなかった。だが中毒性のある内容なのは確かで、週末は必ず競馬、起き抜けに立石の「与作」で「かつお」を求めるキャラは目が離せないと思った。かつおの刺身と豚汁のセットをターザンセットと自賛するセンス。嫌いじゃないなと直感した。

だからと言って盲信的なファンになったわけではなく、ただ本屋で「往生際日記」新作が置いてるのを見つけたら惰性で買い読みふけった。その後ボクは新高円寺に引っ越し、その2年後に久我山に居を移す。その時期はターザンカフェをウォッチングしてたな、たしか。

まあそれだけの話なんですが先月急にターザン山本ブームが自分の中で再燃、毎晩一冊「往生際日記」シリーズを読んで寝る日々を過ごしていた。なんで惹かれるのか。思ったのはそこにはなにもないからだ。ただ瞬間の熱に翻弄された言葉が並び、あくなき「食」への欲求がならぶ(食べたいものを食べたい)即物的欲求が蠢き続け、ときおり燃料切れで機能停止。別に書かなくてもいいし書として残す必要性すら疑われても仕方がないぐらい空っぽな日々が日記に記されている。だけどリアルなんですよね。まさに「祭りのあと」。週刊誌として50万部を達成した後の元編集長として実に正しくリアルな日々を描いている。エネルギーを使い切るってそういうことよ。なのでボクは本能的に惹かれて氏の日記を買ってしまったのかもしれない。

ボク自身、この無為な日々を過ごした三軒茶屋days以降なのだ。マンガについて書くようになったのは。ライフワーク、柳沢きみお研究と称して古本屋(主にブックオフ)できみおの単行本を買い漁った。その姿は若き日の大瀧詠一がクレイジーキャッツの全レコードを(ソノシート含め)1年かけてコンパイルしたエピソードを彷彿とさせる、とか誰かに書いてもらいたいものだ。ちなみにボクの場合は5年かかりましたよ。特に苦労したのは週刊宝石に連載されてた「七百三十夜」。渡辺淳一路線のストレートな不倫ものだが単行本、まともに流通してなかったんでしょうね。あの頃は電子書籍読み放題できみお作品がライトにアクセスできる時代がくるなんて思わないじゃないですか。ああ、この全作品コンパイルしたボクの偉業を褒めて欲しいですよ。きっとこのまま放置され続けるんでしょうが。

きみおのせいで話がそれましたが、そんなわけでボクがターザン山本ワークスに触れたのは週プロ以降の話。ゆえに後年吉祥寺のブックスルーエで購入した小島和宏著「ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、その真実」がどれだけボクに響いたか。ぽかっと空いたスキマを埋めてくれ、なおかつ補完する一冊。

ちなみに先月訪れたターザン山本マイブームはなんだったの?ってぐらいあっさり終焉。「往生際日記」シリーズは最初の2冊が必読。クレイジーサマーやボヘミアンラプソディ編になると「与作」の存在すらマンネリに陥ってしまっておりディープなファン以外なかなか楽しむことが難しい世界になってしまっている。でもこうして書いていて、「与作」におけるターザンセット、つまりかつおの刺身と豚汁を朝から食らうパワーブレックファーストスタイルって健康的には実に正しいし、なんだか急に食べたくなってきた笑。調べてみるとコロナ禍でもちゃんと朝9時から営業しているらしい。ターザン山本が愛した自家製チャーシューも健在っぽい。いいなァ、キメてみたいな。遅れてきた聖地巡礼ってことで行ってこようかな。ターザンの話は本日これぐらいにしとこう。大学の先輩なんですよ。向こうは除籍でボク2留。学部もサークルも違いますがボクが惹かれたのは同じ環境で青春期を過ごした同輩的気分からなのかも。ああ、いつだったかお茶の水駅ホームでニアミスしたとき挨拶すべきだった。


そして昨日ボクは軽く大沢誉志幸フィーリングに陥ってしまった。そして僕は途方に暮れる。いわゆる後悔。先月末に発売されてた某出版社からの某作品。書い忘れてたんでポチろうと思いきや売り切れで新品価格絶賛高騰中。1万2千円はないよ。初版が売り切れたんだろうけど電子書籍推奨なんだろうなあ。でもボクはまだまだ全部を電子書籍にシフトする気はない。紙で揃えておきたいものはこだわっておきたいじゃないですか。明日以降店頭で探す日々だ。やれやれ。

電子書籍は便利。今読みたいすぐ手に入れたい欲求を満たしてくれる。だけど紙じゃなきゃ意味がない作品はまだまだある。本屋で買わねばならない理由。いわゆるボクらが(本屋という名の)森へと旅に出る理由。装丁から手にとるきっかけ。平積みの山から発掘する快感。立ち読んで迷って結局決断しレジに向かうあの気持ち。

本屋はなくなっちゃいけないしボクらは忘れちゃいけない。いつだって出会いを用意してくれるはずなのだ。ボクらがまだ知らない異世界、異分野とのワクワク胸熱な出会いを。

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