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今日も1日「リンかけ」を読み浸る日々〜ボクのジャンプ→サンデー電撃移籍の真相(読者として)

要するにグレーな世の中のせいだ。

グレイに煙った空を見て飲み干すコーヒー苦いよ、と歌ったのは田原俊彦だが或るグレイな恋の場合なんてタイトルだけでイケる斎藤誠の名曲を口づさみがちな日々、てか時代。そんな風にボクは自分の書庫で眠る車田正美の「リングにかけろ」の封印を紐解いた。

読み進めるうちに当時リアルタイムではまったく気づく術すらなかったポイントに引っかかる。
例えば「リンかけ」にて黄金の日本jr、越後の若武者、河合武士が繰り出すジェット・アッパー。
その際に「JET‼︎」て擬音が生まれるんですけども、これってポール・マッカートニー&ウイングスの「JET」だよね。絶対そうだよ。オレ、昨夜気がついたんですけどね。じゃあ剣崎が繰り出す豪打の場合はどうか。「CRASH」だ。これはジョー・ストラマーなのか?うーん、そこは断言する自信がないや。

チャンピオンカーニバル編冒頭で埼玉代表の高校へ乗り込む竜児と石松。すると応援団的存在でギャルバンがKISSのメイクで演奏してるシーン。ああ70年代。よくみりゃ高嶺菊のファッションもスポーティーかつ西海岸風に。連載スタート時はまさに剣崎いわくの「田舎のイモ姉ちゃん」だったはずがいつのまにか洗練されちまった。POPEYE文化の影響は「リンかけ」まで及んでいたのか。

そういえば日米血戦時、アメリカjrのメンバーをシャフトが選んでいた際に唐突に出てきたヘルスエンジェルス。彼らが何者なのかわからないまま記憶に刷り込まれた小学生がほとんどなはずだし、そこに登場するミック。オレは思う。ミック・ジャガーを知る以前に「ミック」という名前を知ったのはfrom「リンかけ」が初体験リッチモンドハイだった小学生はほぼ全員だろう。ミック・ジャガー、ミック・テイラーにミック・タルボット、、、後づけで知る「ミック」は多いけど初体験は「リンかけ」ミックだよね。
そのシャフトも来日当初はディスコでナイトフィーバー。いかに濃ゆい70年代末期のユースカルチャーの影響下の中、描かれてたかがよくわかる。それにしてもミックなあ、弱かったなあ。

そして今回驚いたのが「アハ」である。a-haではない。アハだ。島本和彦による自伝青春大河マンガ「アオイホノオ」によると「ムフ」を開発したのはあだち充、それに対抗する「アハ♡」を原秀則が、、というくだりがある。長年ボクもそう思っていたんだな。だが今回「リンかけ」をディープに再読し発見したのは語尾にハートはないものの、連発されてるんです、「アハ」が。

「アハ、、姉ちゃん」(竜児)
「タコ社長、、アハ」(高嶺菊)

といった具合に。主に竜児と菊が照れかくし的に使用する。なの原秀則の「アハ♡拓」とは使用目的
が異なるわけだ。同一発音でつづりが違う、ということに近いのかもしれない。なにかと硬派になりがちなストーリーの狭間をうまくすり抜けて、まるで左ジャブのように繰り出される「アハ」。これが車田漫画を独自の世界観に仕立て上げている大事な要素だってことを忘れちゃいけない。

「リンかけ」が最終回を迎えたのは82年の夏ですぐに次作「風魔の小次郎」が始まっている。そして「男坂」。ボクが「きまぐれオレンジロード」目当てにサンデーからジャンプに乗り換えた号で最終回を迎えた「男坂」。時代はラブコメかつスマートでポップな絵柄とストーリーを求めていたところにあえて特濃の「本宮(ひろ志)イズム」をぶちこんだこの話が短期連載で終わってしまったことがのちの「聖闘士聖矢」のメガヒットにつながる。

「はなから狙った」作品であるこの「聖矢」はメガヒット、おそらく車田作品としては最大値で受け入れられた漫画だと思う。「リンかけ」でのスーパーブロー、ギリシア神話を星座に置き換え美少年キャラ勢揃い。自らが構築したヒットの法則をさらに拡大したこの漫画はバカウケだったと思う。ドンピシャはボクの実弟世代で彼はどこからかセルを入手しつたない線で聖矢のアニメ絵を模写していた。机に隠してたやつをボクが発見したので間違いない。

その後「聖矢」のあとに「SILENT KNIGHT翔」を経てジャンプを卒業し角川書店で「B`T-X」を連載、このまま車田の男気路線は封印されるのか、と思っていた矢先にスーパージャンプでの「リンかけ2」である。「もういちどやってみっか。青春ってやつをよ」の作者コメントにすべてが凝縮されてると思っていい。おそらくここで「リンかけ」路線の復活がなければ「男坂」復活もなかったのだから。

漫画屋、車田正美。物語としての整合性よりもいかに読者を「どうでぃ!」(by編集王に出てくる漫画家の晴海氏を想像して欲しい)と驚かせるかに全身全霊をこめた作品群はやっぱり読むとスッキリする。理屈抜きで「なめるんじゃねえドサンピン」と叫びながら「お待たせしました!ハリケーンボルト!」と(見開き2ページ)進んでいく絵を見るだけで元気が出る。見開きの派手さはやっぱ香取石松が個人的には推し。剣崎とかBAKOOOOOOON一発だもんな。ギャラクティカ・ファントムとウイニング・ザ・レインボーの激突時なんて見開き説明が銀河が哭いた、虹が砕けたですよ。もはやこの説明だけでは試合中何が起こったのかが不明。だけど最終回、当時小学6年生だったボクには刺さったなァ。あ、このなァって表現もボクは柳沢きみおへのオマージュとしてよく文中使用してたけど「リンかけ」でも多用されてたことに今回初めて気がついた。

「リンかけ」終了後、ほぼ間をおくこともなくスタートした「風魔の小次郎」。クラスメイトの五十嵐くんがこの漫画に影響を受けて木刀を購入したことは覚えているけど、ほどなく小学校卒業タイミングだったのであんまり覚えていない。しばらくボクは惰性で少年ジャンプを読む日々を送る。好きだった「ひのまる劇場」は終わってしまっていた。だが「リンかけ」終了と同時に入れ替わるようにとんでもない作品の連載が始まる。「ストップ!!ひばりくん」だ。のちフレッシュジャンプに連載される「エイジ」とともに80年代中盤以降のボクのマンガ選びの指針となった2作品。だが、「ひばりくん」おもしれえなあと淡々とジャンプ読者を続けていたボクの目の前に刺客があらわれる。

1982年春。ボクは近くの中学校に通うようになった。この時点でボクは単なるジャンプ読者であり時々村生ミオの「胸騒ぎの放課後」、あだち充の「みゆき」を読むべく少年マガジンや少年ビッグコミック(旧まんがくん)を立ち読みする日々。前年盛り上がっていたガンプラブームは沈静化、ボク自身も朝から並んで模型屋でガンプラを買うようなことはもうなくなっていた。「Drスランプ」は人気があったけどボクはあまり夢中になれなかった。そんなときだ。ボクの目の前に刺客があらわれたのは。

同じクラスに小野くんという男がいた。中1にして松尾スズキのようなふけた風貌を持つ彼の愛読書は星新一、筒井康隆、雑誌は「宇宙船」、そして少年サンデーだった。

「ジャンプで読める漫画家は江口寿史と秋本治だべ。あどは本宮ひろ志の弟子なんだがらオレの趣味にはあわねんだ。車田正美の「風魔の小次郎」は読んでで苦しいだよな。「リンがげ」ん時みだいな爽快感がないっぺよ。今はジャンプは苦しいんだよ。これからはサンデー読むべしだべよ」

休み時間にジャンプを読んでたボクに小野くんはそう話しかけてきた。サンデーの存在は知っていたが古谷三敏の「ダメおやじ」のイメージが強すぎて手にとる気にもなれなかった。なんとなく古くさい印象を勝手に持っていたのだ。

「これからは高橋留美子だぺよ。「うる星やつら」読んでねえと乗り遅れっぞ」
小野くんはボクにサンデーコミックス版の「うる星やつら」を貸してくれた。
そして「これは高橋留美子のマンガ読みながらこっちも読めるようにしどくといいべ」と
筒井康隆の「東海道戦争」「にぎやかな未来」、星新一の「ボッコちゃん」「ようこそ地球さん」も
同時に貸してくれたのだ。そう、彼は日本SF界からの刺客だった。

数日後、ボクはあっさりジャンプ読者からサンデーへと電撃移籍を果たす。
ひとの影響は実に恐ろしい魔物だ。そしてボクの目の前にさらなる刺客が迫ろうとしていた
(この章続きます)。

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