見出し画像

LAの【無料】美術館巡り(その①:ゲッティー・センター)

気づけばアメリカに来てから1年が経ってしまった。なんてこった!思い描いていた「滞米二年目のボク」に全然なれていない。英語ペラペラになる気配は未だ皆無だし、仕事場でもしょっちゅうオドオドしている。いっぽう、そんな体たらくなのに、日本人ゼロの職場で心身ともにピンピンしているあたり、自分もなかなかタフなもんだなぁ、と無意味に感心したりもする。

さて、そんな節目の季節に、ようやく念願の西海岸・LAを訪ねることができた。週末+αの弾丸旅行だったけど、駆け足で色々な建築を見た。その中でも特に印象に残った建物として、2つのミュージアムについて書き留めておきたい。どちらも【入場無料】です。

タダより高いものはないとはよく言うが、ここ米国の無料ミュージアムは只者ではない。はっきり言って日本では見れないレベルのアートが無尽蔵かってくらい飛び出すし、建築もむしろ高い質を備えたものが多い。今まで紹介した建物でいうと、ワシントンD.C.のハーシュホーン美術館ナショナル・ギャラリーがそうだ。

今回言及しようと思うのは、リチャード・マイヤー設計の「Getty Center」と、ディラー・スコフィディオ+レンフロ設計の「The Broad」。前者は1997年、後者は2015年竣工の作品だ。先に言ってしまうと、どちらも傑作。いっぽう、約20年の隔たりがあるこれら2つの作品巡りは、「建築体験に求められるもの」の変化が浮き彫りになるような、どこか示唆的な出来事でもあった。今回の記事は、その辺の視点からの見学記となると思う。

【無料】ミュージアムその1:Getty Center

今しがた記したとおり、ゲッティ・センターは建築家リチャード・マイヤーが設計した美術館・リサーチ施設。マイヤー氏というと、先年の騒動が致命的な汚点となってしまったが、現代アメリカを代表する作家であったことは間違いない。(※1)「ニューヨーク・ファイブ」のなかでも、コルビュジェ的なエッセンスを洗練・昇華させることに最も成功しているという評価も事実だろう(実のところ最も「コルビュジェっぽい」作品は初期のマイケル・グレイブスだと思うのだけど、ある時を境にコテコテのポスト・モダニストになってしまったのは有名だ。アイゼンマンやヘイダックは実のところ、はじめからジュセッペ・テラー二やミースといったエッセンスが入っている・・・・と思う。ちなみに、ピーター・アイゼンマン氏とは従弟同士だ)。そんな彼の代表作とされているのが、この建築なのだ。

シークエンスの建築

LAを見下ろす山の上に建つこの建築は、アプローチからして趣向が凝らされている。来場者は、まず山の下のパーキングで一旦足止めを食らう。そこからはトラムに乗って山を登っていくのだ。ゆっくりと動く車窓はロサンゼルスの風景を遠くになめるように進み、やがて視界の端に建物の姿が見えてくる。そしてある瞬間、急に辺りが壁に囲まれたかと思うと、それが到着の合図。車両を降りて見上げれば、目の前には堂々たるファサードが現れる。

コルビュジェの「建築的プロムナード」拡張版、というと言い過ぎかもしれないが、とにかくのっけから連続性を意識させられる体験である。こんな調子を皮切りに、この建築はシークエンスの感覚が通底している。

ゲッティ―・センターは分棟になったパビリオンがいくつも接続された形式の施設だ。従って、来訪者は自ずとこれを「渡り歩く」ことになるのだが、その体験も実にシークエンシャル。絵を見て、彫刻を眺め、階段を昇り/降り、連絡ブリッジを通り抜けるうち、気づくと広大な施設の端っこにたどり着いているのだ。

突端はLAを睥睨するテラス。ここに至るまでの体験は、ド派手なスペクタクルはないものの、来訪者の期待感を絶やすこともない。(最近聞かなくなってきたワードだけど)圧倒的「映え」ポイントは見つけづらいが、全ての場所に個性がある。そういった意味では、原広司さんの京都駅とか槇文彦さんの代官山ヒルサイドテラスのような、都市的感覚を内包した優れたポスト・モダン建築に似ていると思った。これもあくまで個人的感想ですが。

寸法と素材の詩

では、この群造形を1つの建築作品として統一せしめているものが何かといったら、それは明らかに寸法と素材である。といっても、それは単に「仕上げとモジュールは大体揃ってます」みたいな生半可なものではない。それをよく表しているのが、何気なく中庭で撮った写真。大理石・ガラス・金属パネルが厳密にグリッド分割されて、目地が狂っているところが一切ない。円柱も、渡り廊下も、向かいのパビリオンをも含めたすべてが、である。

ここまで入り組んで、外部空間も多い建築でこれを実現するには、設計を通してかなり神経質なコントロールが必要なはずだ。普通なら、吹付けや左官をどこかで使って目地のずれを「逃がし」にかかりたいところだが、マイヤー氏はそんな事は当然しない。これって細かすぎる建築家センセイの拘りだろうか??確かにそうかもしれない。でも、こういうことが、サブリミナル効果のように、体験者の意識に効いてくるのではないだろうか。

続いて素材。限られた素材使いの中でわずかなバラエティを許容することで、この白い建築には「彩り」が与えられている。典型的なのは石の仕上げ。主要仕上げのトラバーチンが時として割肌になることで、優雅な建築に野趣を織り交ぜている(これって数寄屋建築に丸木を使う感覚に近いのかな。違うか)。表面をじっと見ていると、多孔質なテクスチャーの中に時々化石が見つかる。

一見無機質な金属パネルにも一工夫が。よく見ると、この建物で使われている「白」には2種類あるのだ。

1つは、かなり明るい白色だが、もう1つは、トラバーチンに寄せてアイボリー気味に色調を振ってある。純白はエントランス棟だけで、あとはアイボリー。こうやって、ここでも一種サブリミナル的に、統一感の中にわずかなヒエラルキーを表現していると分かる。

(日本で作っておいたカラーチャートが久々に役に立った・・・!!)

石のはなしに戻ると、内部ではトラバーチンに混じって一部グレーの石(いわゆるジュラグレーというやつに近い)が忍ばせてあるのも心憎い。

再解釈されたモダニズムの原風景

丘の上に建つ白い楼閣。もしかして、これってギリシャのサントリーニ島へのオマージュなんじゃないかと思えてきた。サントリーニは、ル・コルビュジェの白いモダニズム建築のイメージ源と、一説に唱えられている島だ。で、リチャード・マイヤー氏はというと、そんなコルビュジェの仕事を最も創造的に追いかけてきた建築家であることは、周知の通りだ。

再解釈されたモダニズムの原風景。いや、正直に白状すれば僕サントリーニ島まだ行ったことないし、まぁきっと単なる誤読だろう。でも、それならば、街を見下ろす最も晴れやかな展示室に、ギリシャ・ローマ彫刻をわざわざ置いたりするだろうか。

(つづく)

※1 当初マイヤー氏は半年の謹慎後復帰予定だったが、英語版Wikipediaによると、2018年10月、事務所は彼の正式な辞職を発表したそうだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Meier

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?