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「守り」が持つ力

今回は、「守」について書きたいと思います。「守」とは、あまりいいイメージを持たれないかもしれません。勝負に勝つためには、「攻」が大事という考えが一般的かと思います。今回、書きたい「守」は、人生において「守」が、いかに人間の行動力につながるかということです。

人間の行動力には、「興味」と「大事なものを守る」の2つがあると思います。前者は、今まで何回か書いてきたので、今回は後者についてです。前者も後者も、途轍もない力を発揮します。人間には必ず守りたいものがあります。例えば、お父さんが家族を守るために、少々体調が悪くても、どんなに上司に嫌な思いをさせられても、毎日会社に行きます。お母さんが、どんなことがあっても子どもを守るために、子どもをかばいます。子どもたちは、自分の地位、立場を守るため、懸命に自分を大きく見せようとします。会社の経営者が、従業員の生活を守るため、自己犠牲をして、仕事に励みます。自分の大切なものを守るために、多くの人たちが途轍まない力を発揮していると思います。

しかし、私は、この点で日本には残念な点があると思います。それは、「守る」ことが当たり前となり、多くの人が自分が多くの人を「守れている」ことを誇りに思っていないことです。自分や誰かを守ることは、簡単には出来ない、とてもパワーの要ることだと思います。だから、もっと誇りに思い、自信を持って生きていってほしいと思います。

先日、「鬼滅の刃・無限列車編」で、煉獄杏寿郎が最後の1シーンで言っていたことが非常に感慨深かったので、紹介します。

「柱なら、後輩の盾になるのは当然だ。柱であればだれであっても同じことをする。若い芽は摘ませない。」

「守」とは、後世に伝えるためにも、非常に大切なことなのだと改めて感じた瞬間でした。だから、自分の大切な人を、自信を持って、今ある力で全力で守ってみてはいかがでしょうか?

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