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読書の時間〜「明るい夜に出かけて」/佐藤多佳子〜

人には、どうしても忘れられない記憶がある。良い思い出も悪い思い出も。

人には、どうしても一人でいたい夜がある。何かに集中したいとき、落ち込んでいるとき、そっとしてほしいとき。

人には、どうしても一人でいたくない夜がある。心もとないとき、世界で自分しかいないんじゃないかって思うとき。

人には、面と向かって話していないのに、誰かとつながっている時間がある。インターネットの中で、電話で、そして、ラジオで。

一人の時間の重要性と、心もとなさ

「明るい夜に出かけて」の主人公・富山は、あるできごとをきっかけに心を閉ざし、大学を休学している。東京の実家から離れ、一年間限定で神奈川県で一人暮らし中。深夜のコンビニバイトに勤しんでいる。

富山は、人と深くつきあおうとしない。しかし、生きていて、しかも働いていれば、否応なく深い関係性になってしまうことがある。最初の富山はそれがストレスで、苦悩している姿を見せる。

一人きりは楽だけど、それでも心もとない夜もある。イレギュラーなことがあったとき、心を癒やしてくれる何かが必要な夜もある。

そんなとき、富山は、大好きなラジオを聞く。

世界から色がなくなるときでも、深夜ラジオは富山を救ってくれる。

漫才コンビ爆笑問題の田中が挨拶し、太田が時事ネタにからめた毎度の珍妙なボケた名乗りをあげ、オープニングトークに入る。停止ボタンを押して一度止める。太田と田中の声を聞いただけで、ものすごくほっとした。いつものように、聴きながら寝ることにしよう。眠れそうだ。

ラジオというのは、不思議だ。テレビともYouTubeとも違う。声だけなのに、なぜか繋がっているような気がしてしまう。それが生放送であればなおさらだ。

心もとない時間というのは、だいたい深夜にやってきて、深夜の真っ暗な夜に飲み込まれそうになる。自分一人だけしか起きていないんじゃないか、とか、明日のことを考えて憂鬱になる。反面、深夜は自分一人しかいなくて、自由だという気もしてくる。

私も、受験のときや悩んで眠れないとき、ラジオに随分お世話になった。最近では、テレビがコロナウイルスの話だらけだったときに気が滅入って、眠れなくて、ラジオをぼんやり聞いていた夜もある。学生のときに、ラジカセではなく、ラジオが欲しいと言うと親に「おじいちゃんみたい」と笑われた。

そのときの私にとって、心もとない深夜に必要なのは、電話する友達の声でもなくて、友達や見知らぬ人とオールしてはっちゃける時間でもなくて、小さな機械から聞こえてくる誰かの声と、音楽だった。夜中でも、誰かが一緒に起きている。いつも聞く声、常連のハガキ職人。一人だけど、一人じゃない。そんな時間が必要だった。

「好き」の持つ強力なパワー

ときに辞めたくなりながらも、富山はコンビニのバイトを続ける。ある日、富山はある女子高生と出会う。コンビニ内で変な行動をしていたので、注意しようとすると、女子高生のバッグについていたバッジに目が留まり、思わう声をかけてしまう。

それは、富山が大好きなラジオ「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」で選ばれた人物だけがもらえるバッジだった。

このときの富山の行動には、読んでいる私も「富山にはこんなパワーがあるのか!」と驚いたけれど、その経験は私にもあるし、「わかる!!」という気持ちでいっぱいだった。そして、何かに対しての愛情から生まれる、人と人の関係性に、やっぱりただならぬパワーを感じた。

人と関わることが苦手な富山は、同じ趣味を通じて、周りの人と少しずつ打ち解けていく。それは簡単なことではなくて、富山はところどころで自戒をしながら、それでも関わらずにはいられない。

同じ趣味というのは、細かくわければいろいろとあるけれど、それでも根本の価値観は似ていることが多い。少なくとも、人の好きなことをバカにしないこと、というのは通じている気がする。

また、この読書で私は少し不思議な体験をした。

この作品の文体や、一人称のこともあって、途中からは富山の日記を盗み見ているような、それか、私が一番富山に近い友人のような気持ちになった。

私は誰かに感情移入をして読むことが多くて、感情移入できなければ完全に第三者の存在(違う世界を見守る人のような)に徹して本を読むので、それはすごく不思議な読書体験だった。

だから、富山が、図らずとも人のために行動をしたり、だんだん、ゆっくりと打ち解けていったりすることが、とてもうれしかった。応援している、ともまた違って、うれしかった。「富山、やるじゃん」みたいな。

SNSやインターネットの拡散機能で、苦い思い出を抱えている富山が、SNSを使用してコミュニケーションをしていく姿を見るのも、ワクワクした。

今やマイナスなことも多く囁かれるSNSだけど、SNSの中で生まれる繋がりや、熱量は確かにある。

アルコ&ピースのラジオは、聞いたことがなくて、どんなものなのかと本を読み終わったあとに調べてみた。今もなお、めちゃくちゃ愛されていて、あの時間を「居場所」だという人が多くて、胸が詰まった。番組が終わってしまっても、顔も知らないみんなとそこで待ち合わせをして遊んだことが、大切な思い出で、忘れられない思い出として、みんなの心の中にあるようだった。

いつもいつも、人の、何かを応援することや、好きだという熱量には敵わない。そこにある、科学的には何も証明できないかもしれないパワーを、私は信じているし、好きなものがあるすべての人が信じていると思う。

そんなことを、この作品で改めて実感した。

明るい夜に出かけて

このお話の舞台は、横浜の金沢八景や、六浦だ 。とても静かで、綺麗な街。高校時代、私は金沢八景でよく過ごした。そのため、文章の中から、あの場所の空気や、匂い、空の青さ、夜の暗さ、めちゃくちゃ静かな海、大好きな声、汗の匂い、夜になると輝くオレンジの光。青春と呼ばれるすべてのことを思い出した。

全然悲しい文章や展開ではないのに、本の中から強烈に、あのときの匂いがして、何回か泣いてしまった。ときどきそんな小説に出会うことがある。強烈に過去の自分を思い出したり、過去に大切にしていた場所を思い出したり。そういう本に出会うと、奇跡だとさえ思う。その本を自分が選んだ、引き当てた運命に、感謝せずにはいられない。

解説で朝井リョウさんも書いているように、風景の描写が本当に絶妙で、全然違う場所にいるのに、一気にあの場所に戻ってしまったような感覚だった。赤い京急に乗って、あの街へまた出かけたい。

人には、どうしても一人でいたい夜がある。何かに集中したいとき、落ち込んでいるとき、そっとしてほしいとき。

それでも人には、どうしても大切な人と一緒にいたい夜がある。そんな人たちと、それぞれの”明るい夜“に出かけたい夜がある。

富山のこれからの物語は、どんな物語なんだろう。誰と出会って、誰に影響されて、どんな大人になるんだろう。もうすっかり友人になってしまった私は、この先の富山とも会話をしたくて仕方がない。



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