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不透明人間

絵の具なんかじゃ描けないあの綺麗な透明に、いっそ染まることが出来たらいいのに。

この高台に来るといつもそう思う。ここから見下ろす景色はとっても綺麗なんだ。雑然とした街並みとその奥に広がる真っ青な海、そして海と同じ色に染まる空が水平線をおぼろげにして一体化する様は、見るものを引きこんでいく。綺麗だ、という言葉で済ませてしまうのがもったいないくらい。時間が変われば空の色は変わるし、時代が変われば街並みは変わるけれど、この景色の美しさは変わらない。自分が普段歩く街がこんなにも綺麗だなんて、その場にいる時には気づけない。

だけど一番綺麗なのは街や海や空なんかじゃなく、透明なんだ。透明が綺麗でなければ、この景色も霞んでしまう。僕もあの透明に染まって、大好きな景色に融け込んでしまいたい。でもそんなことは出来なくて、僕は否が応でも世界から色を押し付けられなければならないんだ。僕はあの透明を羨ましく思う。

そうして景色に見惚れていると、背後から声が聞こえた。

「そこの人、何か悩み事でもあるんですか。ため息なんかついちゃって。」

そこの人とはどこの人だろう、きっと自分ではないのだろうな、と思いつつ、声の発信源へと首を回す。

空っぽだったはずのベンチに、高校生くらいの少女が座っていた。

「そこのあなたですよ、景色に見とれてうっとりしてた、そこのあなた。」

僕は視線であたりを一周する。しかし、この半径10mには僕と彼女しか見当たらない。彼女はおそらく、僕に声をかけたのだ。

「僕のこと?」

「そうです、あなたです。」

彼女はベンチを叩いて、僕に隣に座れと促す。そうして彼女に近づくと、僕はある違和感に気付く。

彼女は、目を閉じていたのだ。

ベンチに腰掛けて、僕は思わず問いかける。

「君、僕のことが見えるの?」

「はい、よく見えますよ。」

「目を閉じているのに?」

「目を閉じていても。」

おかしな会話だ。目を閉じていながら、僕のことが『見える』なんて。

びっくりしましたか、と彼女は続ける。

「実は私、目が見えないんです。幼い頃から目が悪くて、それからだんだん視力が落ちてしまって。」

「でもその代わり、他の感覚がすごく鋭いんです。匂いも、音も、よく感じ取れます。それから第六感、って言えばいいんですかね。人の気配が分かるんです。だから、あなたがそこにいることもはっきり分かりますよ。」

なるほど、と簡単に納得できるものではない。しかし不思議な感覚だ。こちらに顔を向ける彼女と、彼女の瞼越しに目が合っているように思えるのだから。もしかしたら本当に見えてるのかもしれないとすら思えてくる。

「それで、何を悩んでいるんですか。」

唐突だが、この世の中には2種類の人間がいることをご存知だろうか。意味のない嘘をつく者とそうでない者。僕は前者である。

「実は、僕は透明人間なんだ。」

彼女はえっ、と驚きつつ笑いをこぼす。

「それ、本気で言ってるんですか?」

「本当さ。僕はずっと透明になりたいと思ってた。そうしたら偶然か必然か、はたまた神様のいたずらか、僕は透明人間になってしまったんだ。」

彼女は信じられないとでも言いたげに顔をしかめる。当然である。嘘なのだから。

「でも透明人間であるこの僕を、目の見えない君が見つけてくれた。不思議なものだね、目の見えない人の方が、僕のことがよく見えるなんて。もしかしたらこれは運命なのかもしれないね。」

少し間が空いて、彼女は言う。

「あの、私のことからかってます?」

「私の目が見えないから、そんな嘘をついているんですよね?」

僕は声のトーンを少し落として言った。

「嘘だと思うかもしれないけど、本当なんだ。確かに、透明は僕の憧れだった。透明人間になれた時は嬉しかったね。けれどそれと同時に、僕は孤独を背負うことになってしまったんだ。ずっと独りで寂しかった。見つけてくれてありがとう。」

"ずっと独りで寂しかった"、"見つけてくれてありがとう"などと言われれば、これ以上追及など出来ないだろう。

「でも私は信じませんよ、透明人間さん。」

彼女はそっぽを向いた。『透明人間』というのは僕の名前ではないのだが。

それから会話はたわいもないものへと移行する。

「趣味はありますか。」「写真を撮るのが趣味かな。」「どこの景色が一番綺麗でした?」「ここ。」「私も好きです、ここ。」「静かだし、空気も綺麗だから。」

「今お幾つなんですか。」「20。君は?」「私は21です。」「年上⁉︎」「なんですか透明人間さん、そんなに驚いちゃって。」「高校生くらいかと思ってた。」「それは褒め言葉として受け取っておきます。」

「彼女はいるんですか。」「まあ透明になってしまった人に彼女なんていませんよね。」「どうしたんですか黙り込んじゃって。」「図星ですか。透明人間さん。」

「私のこと変だと思いますか。」「何が?」「目が見えないのに『見える』って言うの。」「まあ多少は。」「最初は驚いたし。」「そうですか。」「でも気にすることはないよ。」「そうですよね。」「透明人間さんよりはマシですよね。」

透明人間さん。

透明人間さん。

「透明人間さんも、目を閉じてみて下さいよ。ここの空気とか音とかを、より鮮明に感じることが出来ますよ。」

僕は言われるままに目を閉じる。透き通った空気。木々が揺れて葉がざわめく音。景色だけが魅力ではないのだと、目を閉じてようやく僕は発見する。

すると目を閉じている僕に、横に座る彼女が言った。

「やっぱり嘘じゃないですか、透明人間さん。」

一瞬わけがわからなくて、僕は慌てて彼女の方を振り向く。

彼女は、目を開いていた。

そこで初めて彼女と目が合って、彼女の瞳が綺麗な焦げ茶色をしているのだと知る。

「目が見えないっていうのは嘘だったの⁉︎」

「透明人間さんだって、身体が透明だって嘘をついたじゃないですか。」

なんてことはない。彼女も意味のない嘘をつく人間だったのだ。

「酷いですよ、騙すなんて。」

「君だって僕を騙してたじゃないか。」

「本当笑っちゃいますよ。さっきまで普通に見えていた人が、自分は透明人間だなんて言うんですから。」

彼女は僕をからかっていたのか。意味もなく嘘なんかつくんじゃなかった。僕はどうしようもなく恥ずかしくなる。

「なんで嘘なんかついたんだ。」

「多分透明人間さんと同じ理由ですよ。」

「なんか景色を見て深いため息をついている人がいるから、からかってやろうと思ったんです。」

「まさかこんな面白い展開になるとは思ってもみなかったですけど。」

恥ずかしさを通り越して笑ってしまう。お互い変な嘘をついて、変な出会いを演出してしまったのだから。可笑しくて仕方がない。

僕につられたのか彼女も笑い出す。あまりにもいじらしく笑うので、からかわれたことも忘れてしまいそうだ。

「それカメラですよね、写真撮って下さいよ。この運命の出会いに。」

運命などと口走ったことはどうにか忘れてくれないだろうか。

彼女はこの景色すごく綺麗ですよね、といいながら景色を背景にする。真っ青な空に、彼女の白い肌が映える。

彼女は小走りで近づいてきて、「これは私と透明人間さんのツーショットです。」なんて言う。

そう言われると、本当にここに僕が透明人間として写っているような気がして、なんだか少しだけ憧れに近づけたような気になった。


END



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