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水を得た魚。干上がる魚。

こんにちは。橘吉次(きちじ)です。

先月、幼馴染の御尊父様が他界され、葬儀に参列いたしました。
本日届いた礼状に、

「晩年、地域活動に邁進した父は水を得た魚のようでした。公共福祉に力を尽くすことが父の生き甲斐でした。人生の最後にそのような場を与えられたことに感謝しています」

と書かれていてました。
人生というものを考えさせられる文章でした。


水を得た魚とは?


「水を得た魚」とは、三国志に由来する言葉だそうです。

劉備と諸葛亮孔明のあまりに親密な関係に
不満を漏らした関羽に対して
「私と孔明は魚と水のように切り離せない仲である」
と劉備が答えた。

ここから、魚は水があれば本来の力を発揮できるとして、
「適した場があれば人は活躍する」という意味で使われるようになりました。

適材適所。
これはよく使われる言葉です。
適した人材を適した場所に配置すると、効率良く組織はスムーズに運営される。
人事に於いては常識の適材適所ですが、「水を得た魚」となると少しニュアンスがかわります。

なぜなら、「水を得た魚」の意味を逆に考えれば、
適した場がなければ、人は本来の力を発揮できないということになります。

これ、よくよく考えると人生の本質に迫る言葉だと思いませんか?


持って生まれた力


まず、本来の力とは何なのか?
これは持って生まれた力のことでしょう。
その人だけが持つ、後天的ではない先天的な能力です。

特質と言っても良い。

子供を育てた人ならば誰でも当たり前のこととして実感することがあります。
それは、持って生まれたものがあるということです。

同じ両親から、同じ環境で生まれた新生児が既に個性を持っている。
夜泣きする(お兄ちゃんはしなかったのに…)
オレンジジュースが好き(リンゴジュースは何故か嫌い)
よく眉根を寄せる(哲学者みたい…赤ちゃんなのに…)

これらと同じように、人にはその人独特の本来の力というものがある。
これを吉次は魂の個性だと考えているのです。

この魂の個性にジャストな場が与えられれば、人はとんでもなく飛躍するのではないでしょうか?

別に社会的な飛躍じゃなくても、
圧倒的な充実とか
幸福とか
満足とか
そんな満ち足りた人生を送ることが可能になる。

先の御尊父様は、大手メーカーの経理を担当していらした。
その人生が、満ち足りていたのかどうかは分かりません。

でも、その息子が「晩年は水を得た魚のようだった」と表現するような日々があったということは、
魂の個性にそった晩年だったということではないでしょうか?



水を得ない干上がる魚


日常生活において、自分の魂の個性なんて考えることはしません。
本来の力なんて、考えません。

でもね。
あるんだよ。
全てに人に、持って生まれた力があるのです。

これを生かせる場を探す。
これが人生なのではないでしょうか?

持って生まれた魂の力が発揮できない場に長くいると
人生は乾く。
無気力になる。

場違いなところで無理して生きていると魚は干上がります。
干上がってませんか?

持って生まれた自分本来の力を信じて、
自分が生き生きと充実できる場を探しましょうよ。

全うな社会の一員として
親として
大人として
キチンと今まで、社会的基準に合わせて生きてきましたよね。

だから、これからは自分の魂の個性に合わせた生き方をしましょうよ。
それが人生後半の使命です。

58歳になる吉次はそう考えております。


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最後までお読みいただきありがとうございました。

では、さようなら






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