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業平竹

2025年は在原業平生誕1200年とのこと。
2月のはじめ、
お誘いに便乗して関連の記念ウォーキングイベントに参加した。

奈良県天理市の檪本(いちのもと)エリアの歴史を訪ねるツアーだったが、
起点となったJR「櫟本駅」は全く未知の場所だった。

そもそもイベントに参加しようと思ったのは
在原神社や柿本寺など、
歌人・業平や人麻呂ゆかりの地だったから。

栄えた時代もあっただろうけれど
明治31年開業時のままの木造駅は、現在は無人駅。
少し歩くと竹林や古墳も残り、
様々な時代の歴史の層が点在している。

古代豪族の和爾氏の本拠地であり、
街道の交差する櫟本は宿場町として栄え、
大正末期から昭和20年頃の界隈は
駅前を中心におよそ250軒もの商店街が連なっていたという。

在原神社は業平生誕の地といわれ、
ここは明治の廃仏毀釈まで在原寺だった。

境内には、伊勢物語や謡曲「井筒」にも描かれている筒井筒があり、
近くに「業平竹」が植えられていた。

「業平竹」とうい名前は、かの牧野博士が名づけ親だというから
名前が付いたのは近代で、
細目ですっきりしたその姿を、
平安の貴公子業平に見立てたらしく
実際にかつての在原邸に使われていたのかは不明だ。

別名大名竹といわれる種類で
どちらかというと関東で好まれたというから
邸に業平竹など使ったのが
粋として流行したのかもしれない。

業平は平城天皇の皇子
阿保親王の息子であり
やんごとなき家柄のまさしく貴公子。

政治の舞台にこそ登場しなかったが
文学の世界で名を残し今に伝わるイケメンなのだ。


この日は
例年、業平忌のみ拝観できるという室町時代の業平像と
近年民家で発見されたという人麻呂像を一度に拝観させていただいて
赤土山古墳の丘から奈良盆地を見渡し
はるか悠久のいにしえに静かに想いを馳せた。

あらためてゆかりの不退寺や十輪寺にも訪れたい。


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