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自分と向き合う勇気の先に


わたしたちの中にいる真実の自分=魂。

その存在に何かの拍子に気づいてしまう。
真実の自分が気づいてほしくて待ちくたびれて、
アクシデントを創り出し、顔を出すこともある。


いや、そんなわけない。そんなはずない。
わたしはわたしのまま生きてきた。
魂?真実の自分?なにそれヘンなの…


真実の自分と現実の自分に乖離がある人は必ずそう思う。
わたしも最初は、『これはなんの話??』という状態だった。


自分の心が『どうしたいか』よりも、今現在の状況、自分の立場から
『どうするのがベストか』を主軸に長年生きていると、『は?なんのこと?』となるのは当然。

心が望むことよりも頭の声を優先してきたから、心の居場所がなくなっている。


思考が爆発していると、
子どもの頃から現在までに負った傷を
『そんな昔の話』だの『親はもう年老いてるのに』とか、『あれは良い経験だった』とかなんとか物分かりのいい大人のふりをして、色んな理由をつけてフタをして、なかったことにしてしまう。
感じるのが辛すぎて、認めないようにどこかへ追いやってしまう。


【インナーチャイルド】という言葉をバカにする人すらいる。


インナーチャイルドとは、"子どもの頃に傷ついた自分"を指すのではないとわたしは思っている。

小さな頃に限らず、痛い思いをして、これ以上傷つかないよう、居場所がなくならないようにと必死に隠した自分、その時に培った神経の使い方をそのまま手放せずにいる自分だと理解している。
今現在の自分の一部であり、主のように居座っているものでもある。
見ないように閉じ込めていても、癒されないままでは、決して居なくはならない。


わたしはもう強くなったとばかりに、主のことをバカにしたり、見下すことは、今現在の自分のことを見下しているのと同義で、それはとても苦しいのではないかとも思う。


その頃の傷ついた自分、辛かった自分、泣きたかった自分を今現在の自分が抱きしめてあげることで、彼らは癒される。
傷つけた当時の親に謝ってほしいのでも、誰かに癒してほしいのでもない。
親や誰かは全く関係がない。


その頃の自分の辛さを、自分が聞いてあげる、わかってあげるだけでいい。
『辛かったね』『もう大丈夫よ』と背中をさすり、安心させることこそが癒しで、
それができた時、今現在の自分にとても大きな変化をもたらす。
一番理解してほしい相手は他でもない自分だから。
そうすれば安心できる場所を自分自身で作ることができる。

誰かに作ってもらった場所に、本当の安心はなくて、
本当のホームは、自分でしか作れない。


以前のわたしは、自分の幸せは周囲の状況が作ると思っていた。

体調不良をきっかけに全てのことが良い方向に動いて、
娘も家族も健康でみんな元気。
したくない仕事からは離れることができて、パートナーに大切にされて仲も良く、経済的な心配もない。

これ以上望むことは何もない。

なのにわたしは、幸せというものが、わたしの中を通り過ぎていくのをいつも感じるようになっていた。


他に何を望むことがあるのかと腹立たしさもあった。
だけどわたしは、自分のインナーチャイルドの存在に気づき、向き合っていたから、自分の一番の味方に既にもうなれていた。
だから、正直なわたしをもう止めることはしなくなっていた。

だからラスボスと対峙できたのだ。

そのラスボスは他でもない、真実の自分。
嘘偽りのないありのままの自分。


わたしたちの魂は、どんな体験をするか(したいか)、
どんなお家にどんなタイミングで生まれるのか、
どんな身体で、どんなハードルを用意するか、など、
全部自分で決めて、この世に生まれるらしい。
ホロスコープがその設計を表している。

様々なハードルを乗り越えて、本当の自分に気づき、
そこへ還り、本来の愛の姿に戻るゲームをしていると。

わたしの51年間の人生を振り返ってみても、この説が一番腑に落ちている。
スピ全開でもなんでもいい。
本当にそうだと思っている。


わたしは見たくなかった本当の自分と向き合うことになった。状況がもう逃げれなくしていた。


最初は本当に嫌で嫌でたまらなかった。
なかったことにしている自分と向き合うのは辛い。
今、手にしているものを失うかもしれない恐怖もある。
変わってしまうであろう自分がとてつもなく怖い。

それになかなか手強くて、表に出てこない。

やっとのこと引っ張り出したラスボスは泣いていた。
ずっとなかったことにされて、気づいてもらえない寂しさ悲しさが溢れかえっていた。
それから数日間、わたしはことある毎に泣いた。
でも、逃げずに向き合うと必ず涙は止まる。癒えるから。
最後は清々しく顔を上げた。


わたしは、本当の自分と向き合い、理解し、受け入れて抱きしめた。
そして、本当はラスボスをずっと愛していたことにも気づいて驚いた。
思考が邪魔して、ダメだというジャッジに逆らえなかっただけだった。


この時向き合ったインナーチャイルドは26歳のわたしもいた。もはやチャイルドではない。
このことからもわかるようにインナーチャイルドは、
傷ついたのに、色んな理由をつけて知らん顔されていた自分そのものだ。


わたしはこれで、やっと本当のありのままの自分を愛することができた。
誰かや世間の目から解放された。
イマココの自分を良い気分にすることに集中できるようになった。
あんなに厳しい目でわたしを見ていたはずの、長年連れ添ったパートナーには、
『最近のあなたは、そのまんま過ぎて面白すぎる🤣』といつも笑われる。
「オマエが悪い甘えんな」といつも責めてくる意地悪なわたしはすっかりいなくなった。


この心地良さ、心強さは、初めて感じるものだった。
自分以外の誰も何も関係のない世界。

わたしがわたしを理解し愛していることが、嬉しくて幸せで、心から喜びが溢れてくる。
わたしを取り巻く状況は何も変わっていないのに、
わたしは今、本当に幸せを感じている。


自分自身が、嘘偽りのないありのままの自分を愛すること。
これが幸せの正体だったと確信している。


わたしは分子栄養学を勉強してきたけれど、
分子栄養学の師匠や先輩、仲間たちの多くは、
健康診断はオールAだったにもかかわらず、体調不良や生きづらさを抱えて、ここに辿り着いている。

その人たちが勉強し実践し、体調を整えた後に、大きく人生を変化させることがある。
それはまさに、本来の自分に気がついたからだ。

本当に自分が望んでいることや、本当は手放したかったこと、ありとあらゆる自分と対峙しながら、本来の姿に還っていく。
逆もある。
本来の自分に気づいて認めることができたら、飛躍的に体調が良くなることももちろんある。
体調不良も、潜在的に自分が選んでいると言える。


わたしもそうだったけれど、
本当の自分?なにそれ?となる人は、
そこに考えを巡らす体力がない。

自分と向き合い、理解し受け入れるのには、
本当にエネルギーがいる。

だからまずは、魂の入れ物である"身体"を整えることが大切だ。

身体を労わること、大切にすることは、自分を愛することへの第一歩。

身体は食べたものでできている。
こう言うと、「あーはいはい」ってなる人は多いかも知れないけど、

自分をいちばんに愛し、自分を信じ、世の中は優しいと知っていて、自由を謳歌し、自分のありとあらゆる希望を叶えて自分を大満足させている人は、どんなものを食べても大丈夫だと思う。
全細胞が愛でいっぱいなので、何を食べても栄養になる。

その日が来るまで、そのようになれるまでは、
身体を作る材料になるもの、やる気幸せホルモンの原料を摂ることや、メンタル直結の血糖値を安定させる食事の種類や摂り方などを上手に取り入れていくのが賢明だと思う。
その方が近道だから。



病気や体調不良、生きづらさを感じているならば、
それは本来の自分と乖離した人生を送っているから。

思考が爆発して、《こうあるべき》に呑み込まれて、
知らず知らずのうちに自分で自分をがんじがらめにしている人は多い。

でも、自分と自分が繋がることで、統合することで、その生きづらさは解消され、エネルギーが満ちる。


今までの自分が許せなかったわがままな自分になったとしても、ひいてはそれが、自分の周りにいる大切な人たちをも幸せにすると本気で思っている。


愛している人が幸せでないのはとても辛いから。

それが大人でも子どもでも。


自分と向き合う勇気を持ち、痛みを越えた先には、
見たこともない笑顔の自分が待っている。

その自分と出会えたことに、心から感謝を込めて。

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