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字を綺麗に書くこと

先日、何気なく見ていたテレビ番組で、岩下の新生姜の社長さんが出ていた。

ー「子どもの頃の習い事で、やってて良かったことはなんですか?」
ー「習字です。字が綺麗な事はいくつになっても財産となること。そして【綺麗な字を書く】とは、一瞬一瞬を大事にする哲学に通づるものがあります」

全身ピンクをまとった、いかにもイケイケなおじさんのような容姿だったが、とても素敵なことだなと思った。



よく目にする「丁寧に生きる」という言葉に対して、インスタや広告で映える象徴のようにリアルを感じなくて、どこか遠いものの印象を持っていた。
けれど、字を綺麗に書くという行為は一瞬一瞬を大切にする、という表現でストンと腑に落ちた気がする。


私は時間がある時に日記を書いている。
毎日かける時もあれば、正直忘れてしまうこともあるし、人に見せられないほどの言葉を書いている時もある。きちんと見返すと、綺麗な私らしい字をかけているときもあれば、ひどい字体の時もある。

きっとこのノートが終わるまでは書くだろうし、だったら、自分らしくて好きな字が書けるお気に入りのペンで、綺麗な字で書いてみよう。丁寧に時間をかけて。


10代20代前半の頃は、自分の嫌いなところを強く感じていて、新しい自分に生まれ変わりたい思いが強かった。
メイクも髪型も定まらなくて、とにかく嫌いなところが変わって欲しくて、満足感も低くてどうしようもなかった。

今でも気に入らないところ、コンプレックスも沢山あるけれど、最近ようやく『髪型ひとつ変えたところで別人にはなれない』ということに気がついた。

一生私の容姿はこのまま。
※ここでいう容姿は、骨格や生まれ持ったもの

だったら変に期待なんかしないで、ありたい姿と今の姿の間くらいを磨くようにしようというところだ。



「字を綺麗に書く」という行為は禅に近いのかもしれない。
雑に扱わないで、今を丁寧に過ごす。
この考え方はもっと深い意味合いだった。

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