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我輩は母ですか?

こんにちは。
寒くなりましたね。徐々に。
無意味に倒置法。

14年前に娘を産んだ時の話。(あ、今日が誕生日というわけではないです。)
出産予定日よりも 11日遅れ、もういい加減産まないと大きくなりすぎてしまうということで、前日から入院し出産に備えれど、一向に陣痛が来ずそわそわしていたあの日。

今日も陣痛促進剤をそろそろいれようか。と言っていた朝になって、急にお腹の中で心拍が下がってきたために、緊急帝王切開になったのでした。

全身麻酔の手術ということで、家族の同意とサインが必要なのですが、前日から休みを取って付き添っていた夫は、今夜は生まれそうにないし、いてもやることないから帰るようにと助産師さんに言われ、夜中のうちに帰ってしまっていたので、早朝に鬼電するも繋がらず。

運良くたまたま朝の早い母に電話が繋がったので、即病院に来てもらうことになりました。

そこからはバタバタと手術の準備が始まりました。
と言っても、私は麻酔で寝ていたために、出産の記憶などあるはずもなく、麻酔が切れたとたんに、手術と子宮収縮のダブルパンチをはらんだお腹の痛みで「う~痛い~」と地獄のようなうめき声を上げながら目を覚ますと、個室に寝かされているらしいことに気づいたのでした。

あまりの痛さと、ぼんやりした意識で唸りながらも、病室にいた母に赤ちゃんがどうなったか聞くと、「元気な女の子で、ピカピカしててすごく可愛かったよ!けど、帝王切開で生まれた赤ちゃんは、全員初日は保育器に入ることになっているらしいから今新生児室の保育器にいるよ。」と聞かされ、とりあえず無事ではあるものの、すぐには会えないということがわかったのでした。

手術後の私は、ベッドから立ち上がるどころか起き上がることも許されずひたすら横になるしかありません。

夕方になって電動式ベッドを少し上げる許可をもらい、ようやく部屋にある巨大なテレビモニターで、出産祝いに父から貰ったSONYのハンディカムを使って、夫が撮影した我が子の映像を映し出してもらい、初めて娘の姿を確認できたのでした。

なぜか帽子をかぶらされている娘の姿に、理由を尋ねると「子宮口が開く前に無理やり出てこようとしたみたいで、頭がとがってたからじゃない?」
と、本当か嘘かいまだにわからない理由を夫から聞かされ、せっかちなのかのんびりしてるのかわからない性格なのは完全に私に似ているのかもしれない。とぼんやり思いました。

生まれたての赤ちゃんは、モロー反射といわれる大きな音の刺激などに反応して、両手を雛鳥の翼のようにアワアワした感じでバタつかせる仕草をするのですが、その様子がバッチリ映っていたため、可愛くて面白くて愉快でどうしても笑えてしまって、お腹の傷が痛くてたまらなかったのを覚えています。

しかし、その日は結局ずっと保育器からは出られず、私もベッドに固定されていたため、新生児室に赤ちゃんを見に行くことが出来ず仕舞い。
まだ生まれていないと思って、病院に陣中見舞いに来てくれた友達の方が先に娘と対面する状況になりました。

ようやくわが手に娘を抱くことが出来たのは翌日のこと。看護師さんが赤ちゃんを部屋まで連れてきてくれました。

大きい赤ちゃんだと言われていたけれど、やはり生まれて間もない彼女は、とても小さくて可愛くて脆くて尊くて一生懸命で輝いていて、色々な感情が一気に押し寄せて涙が止まりませんでした。

本当にこれが前日までお腹の中にいた人なのだろうか?
普通分娩だったらもっと実感があるのだろうか?
とても不思議な気持ちで抱いたのを覚えています。

中2になった娘とは現在も毎日一緒にいるのですが、やはり未だに私が産んだという実感はないままです。

もちろん、彼女は正真正銘私の娘で、夫にも私にもよく似ています。
生まれてすぐに「産んだ!」と実感しなかったことが原因なのか、または元々私が人との距離が遠いタイプの人間だからなのかはわからないのですが、ちょっと離れているというか、一歩引いているというか、子は子、私は私。という意識で現在に至ります。

母であることは私の一面ではあるけれども、全てではなく、これまでの自分に新たに加わった1つの属性という感じです。

子どもと共に生活するようになって、私には新しい視点が色々与えられました。

例えば、ベビーカーに乗せていた頃、車輪のついた乗り物を使用している時のエレベーターの重要性や、道路の舗装のありがたさ、見知らぬ若者や年上の人たちの中に秘められていた親切心など、一人でいた時と同じ場所でも、初めて見えるようになったことがたくさんあったのです。

それに、私が中学までに経験してきたことを、今度は自分が別の役割として、別の場所、別の時間、別の人たちと追体験することによって、昔自分がしたりされたりしてきたことを、あらためて振り返る機会もたくさんあります。

子どもの頃わからなかったり、不思議だったり、腹が立ったり、許せなかったり、信じられなかったり、悲しく思っていたあれやこれやが、もしかするとこういうことだったのかなと、すとんすとんと腑に落ちていくこともしばしばです。

そして逆に、なんであの時あんなことをされなくてはならなかったのだろうか?とよりわからなくなってしまうこともたくさんあります。

娘を育てる経験を通して人生をもう一度味わうような感覚が子育ての面白さの1つなのではないかと思います。

なんて語っても、娘以外の子どもを育てたことがない私には、子育てについての知識は一人分しかなく、母親としてのあり方の正解もよくわからないまま日々答えらしきものを出しつつ生きているだけですが。

きっと複数の子どもがいるお母さんと私とは全く違うし、男の子のお母さんと私も全く違うでしょう。大家族の中で子育てしているお母さんとも、シングル世帯のお母さんとも、山奥に住んでいるお母さんとも、東京都内にに住むお母さんとも、専業主婦のお母さんとも、若いお母さんとも、実家から遠い地域で子育てしているお母さんとも、きりがないのでこのへんでやめますが、どんな他のお母さんとも私は違うのですから。

お母さんはみんなそれぞれに違うだけでなく、一人一人全く違う子どもを育てていて、さらに子どもの成長とともに、環境も状況もどんどん変わっていくのですから、それはもう正に千差万別です。

でもよく考えたらこれってどんなことでも一緒なのではないかとも思います。

私は娘しか育てたことがないけれど、それだって一つ一つの全ての瞬間をたったの一度ずつしか経験していないのです。

48年の人生も26年の社会人歴も17年の妻歴も14年のお母さん歴も、全部そうです。
知識として自分の中にあることでも、実際その場面に「なってみて」、「やってみて」初めてわかることばかり。

しかもその全てを正確に覚えていることなどとても出来ないので、結局は誰かに確信をもってアドバイス出来ることなど1つもありません。

もし尋ねられたら、自分はこういう時にこうしたことがあって、その時はこんな感じでうまくいったよ。ぐらいは言えるかもしれませんが、とてもじゃないけど自分から他人に意見することなんて出来ないのです。

これは自分がしていることに自信がないという理由からではなく、みんなそれぞれに違うから一概に言えないと、全てのことに対して思っているためです。

だから、人と比べることには本当に意味がないと思うし、誰かのようになりたいと思うのも違うなと思うし、私の言うことを鵜呑みにされるのもちょっと困るなと思ってしまいます。

何が言いたいかというと、みんな人生は一度きりしか生きていないのだから、誰しもそんなにプロじゃないんじゃないか?例えばそれがお母さんだったとしても。

だから、役割を押しつけたりしないでそれぞれの人と、人間として付き合っていけたら良いなと思うのです。

これを読んだ未来の娘や、まだ見ぬ孫に「よく言うよ。かなり押しつけがましくて決めつけが激しい人間だったと思うけど。」なんて思われないように、ここから先の人生生きていこうと思ってますよ。という話でした。

ではまたそのうちに。


















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