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自分はまだ人生を終われない


自分の抑うつ記念を3/31とした訳だが、そのために一つやるべきことがあった。というか、これだけは片付けておきたいということがあった。それは過去に自分が関わりを持っていたある人との訣別である。いわば過去の清算である。

「親しくしていたけど、ある出来事をきっかけに、自分が避けていた人」だった。

数年前に手紙をもらった。ずっとお守りのように大事にしていた。ずっと返事を書かないといけないと思うと同時に、「そのタイミングは自分がちゃんと生きられるようになってからだ」とも感じていた。

その返事を、ようやく、今月書いた。自分がちゃんと生きられるようになったからだ。抑うつを卒業すると決めたからであり、実際そうなっていると感じられるようになっているからだ。

最後に相手は私のことを好きだと言ってくれた。相手の幸せを願って、関係に終止符を打った。



長らく辛いと思っていた過去の出来事を、今では「良い経験だった」「経験できて良かった」と思えるようになった。
ここまで来るのに少し時間がかかってしまった。でも、過去は変えられるんだと思った。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去はそれくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

マチネの終わりに

自分がこれまで出会った人と言葉、経過した時間が、自分の過去を変えてくれた。


最寄駅からの帰り道を、空を見上げながら歩く。前後に誰もいないことを確かめてから、腕を広げてみる。鼻歌を交える。自分の未来を想像する。素敵な夜だなと思う。

自分の人生、まだまだ終われないなと思う。だって、自分の未来が明るく見えたのだもの。その明るさが眩しくて、具体のものは見えないけれど、それでもたしかに先が続いている。

最近少し考え始めた今後のキャリアについて、改めて思いを馳せる。どこに住もう。何をしよう。この世界でずっと生きていきたいけど、たまに休憩したり回り道をしたり、小道に入ったりしたいな。

それから、今後の自分の姿について思いを馳せる。身近な人を支えられるようになりたいな。弱さを愛せる人でありたいな。
そのために強くなりたい。



「幸せになりたい」と願った年末、それからなんだか思いの外早くに幸せに近づけているなと思う。というか、今、幸せの中にいるように思う。自分が満足する自分に出会え始めている。


私は良くも悪くも他人に影響される部分が多い。入子構造的になるが「自分軸」で生きている人を見て私も「自分軸」で生きようと思い、主体的に人生を歩もうという意識が芽生えた。

「幸せになりたいと自覚しておくこと」が大事である。自分の幸せが何かを、一言で言い表す必要はない。言語化できなくてもいい。でも、意識しておくことが大切なのだ、と、思う。


自分が目指す先にあるものは、一般に言われる社会的な成功ではないのだと思う。自分が死ぬときは、周りから愛されていたのだと思えるような人生を送りたい。
そう思えるほど、自分の先の人生を考えられるほど、私は強くなった。これは「死ぬこと生きることで悩むことが減った」の次のステージだ。


賢く美しく、強く優しくありたい。

自分はまだ人生を終われない。

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