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【き・ごと・はな・ごと(第29回)】七夕に寄せて(2)―桑都の名ごり

桑の葉が近ごろ人気らしい。なんでも抗癌作用があると学術的に認められたとかで、このところ俄然注目されているそうだ。茨城県に住む知人の夫が癌になった。手術は大成功に終わり、その後の経過もすこぶるいい。おみまいがてらマスコミ媒体で得たそんな話を伝えたら、とても喜んでくれ、さっそく桑茶を購入し、家族三世代で今はファンよ、毎日飲んでるわ!と嬉しい連絡が先日あった。一番効き目があるのは新鮮な生薬だそうだが、でも桑の葉なんてなかなかないでしょう、そうおもったら、彼女曰く「ありますよ!こっちには。庭にも植わってますし、このあいだ主人とリハビリがてら山へ散歩したとき、熟した桑の実がたくさん成っていて、嬉しくなって夫婦ふたりして唇赤く食べて帰ったら、口裂け女みたいだと子供に笑われてしまいました」とのこと。残念ながら私はまだ、そんな風にして桑の実を食べたことがない。近所で桑の木をみたこともない。というより、白状すると最近まで、どんなものか、見分けがつかなかったというところだ。

どこかに桑の木がないものか、周囲の人たちに聞くと、ああ、昔はそこらじゅう、どこにでも植わっていたよ、見かけないなんてことが不思議くらいだったという。特に戦後、もののない時代の最高のおやつで、子供たちは実の成るころになると口のまわりを真っ赤に染めて夢中で食べたっけ。そうそう、桑の実の季節が終わりハスが咲くころになると、蓮池の周りで実を新聞紙に包んで5円で売っていて、お駄賃貰って買うのが楽しみだった。コリコリっとしていて、ちょっと甘みがあって香ばしくて・・・・、そういえば蓮田も近ごろはみかけないなあ。そんなことをいとも懐かしげに、しみじみした調子で語ってくれるのだ。が、しかし、肝心の桑の実は何処に?となると、ええ―と・・・・、と首を傾ける。いったい桑の木はどこへ消えてしまったのか?

東京都八王子市に桑並木があるゾと聞いて、でかけることにした。最近の八王子といえば学園都市、あるいはベットタウンのイメージばかりが先行するが、かつて桑都が代名詞とされるほどに、絹織物の生産と盛んな土地であった。特に横浜港の開通した1859年(安政6年)以降は、海外へ輸出する生糸の生産が地元だけでは追いつかず、八王子に集結された各地の生糸を横浜に運ぶ街道は「絹の道」と呼ばれていた。ピーク時にはそれこそ桑畑だらけだったというこの町も、宅地に変えられた現在の姿にはその頃の面影はみられない。桑並木はそんな町の歴史を刻む、いわば生きた記念碑の意味合いか。1954年(昭和29年)に植栽さえれた「桑並木通り」は、JR八王子駅の北口大通りにある。車や人の行き交うメインストリートの両側で距離にして約500㍍ほど。もともと絹の国ではあったが、明治維新後の富国強兵策により東京周辺の空き地はいたるところが桑と茶畠一色に塗り替えられる勢いだったという。それほど桑に親しんだお国柄にしては、桑の街路樹をほとんど見うけられないのは何故か?役所の人にいわせると、なかなか管理が大変なのだとか。特に若葉の茂る頃は害虫の餌食で、そのうえ街灯をつければ、まるでアメリカヒロシトリを誘い込むようなもの。また樹齢400年になる古木が天然記念物としてあるのだが、これも道路事情やらなにやらで、既に引っ越しを数度も繰り返し「あの桑もきのどくなんですよ」・・・・なにやら悲鳴が聞こえてきそうな気配ではあった。

桑都の名残を探しに町を探索してみた。すると、あるある。アパートの玄関先、古い農家の庭先、菜もの野菜を作る畠の畦など、さまざまな処にかつての桑畠の名残を見ることができた。蚕の餌として植えられていた桑は、養蚕業をやめると同時に邪魔ものになる。他の作物に切り替えるために、桑の木を掘り返したちき、なにしろ根が深く、また縦横に伸びているので驚いたと、かつて養蚕農家だったという人が話してくれた。根こそぎ採ったつもりでも、たいていどこからか自力で生えてくるそうだ。まさに威力である。桑の葉に病を蹴飛ばすパワーが秘められているのも、もっともか。さて、桑と七夕の縁であるが、七夕といえば牽牛と織姫。この町には、天の川の織姫でなく、列記とした桑都の織りに貢献した機守様としての織姫さまが大切に祀られている。まさに、グダダダと瀧のごとく汗の流れる7月半ばの昼下がり、大善寺境内に鎮座している機守様を詣でた。お告げにより、桐生の織りの祖神、白瀧姫を勧請して祀ったものという。寺の本堂に座した姫君の肖像を拝見した。ふくよかな面差しで両手に糸巻きを抱え、まこと涼やかな美人でいらした。「毎年、七夕前後に機守まつりを行います。今年はちょうど7月7日で、読経をあげ散華したりしてお祀りしたんですよ」とのこと。聞けば、機守様をお守りしているのは八王子織物工業組合の方々なのであるという。また市内には他にも加賀神社など数か所に機守様がおり、氏子たちの手により祀られているという。桑都が紡いできた歴史は、桑の根のごとくしっかりと、機守様に寄せる地元庶民の素朴な信仰に守られて、来世紀へと引き継がれるのだろう。(次回、七夕によせて最終回は尾張一宮、服織神社の御衣奉納へ)

八王子の桑並木通り
農地の畦にも桑の木が
道路の傍らに茂る桑の古木
目に沁みる桑の青葉
慈悲深いまなざしで座す織姫さまの肖像(大善寺)
機守神社(大善寺境内)

文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞―平成11年(1999年)8月15日(日曜日)号

き・ごと・はな・ごと 全48回目録

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