【脱SNS依存】何のための写真か

私は今まで写真を撮る時に、どういうテーマの投稿に載せるか、映えているか、を考えて撮っていました。
いつしか被写体に対して、これはウケが良いか、を考えて見るようになっていました。
せっかく行った旅先や、せっかく買ってきたデザートや生花に対して、そんなことを先に考えるようになっていました。
自分の感動は後回しになり、記憶への残り方も曖昧になっていきました。

私は、食べること、旅をすること、花の写真を撮ることが好きです。
そんな好きなことが、いつしか自分のためではない、何かになってしまった悲しさがありました。

SNS依存から脱した私は、変わらず好きなものを食べて、好きな場所に行っています。
ある日、いつも通り被写体にカメラを向けて思ったのです。
これは何のための写真?
そう考えてしまうと、手が止まりました。
けれど、すぐに答えは出ました。
写真を撮りたい今の自分と、写真を見て思い出したい未来の自分のための写真、だと。
そう思うと、写真の撮り方も変わります。

写真を見て思い出すためには、映えているかは重要ではありません
そこに何があったのか、何を感じたのか、を思い出せる要素が写真に含まれているか、それが私の写真には重要なことでした。
(写真の加工については、元々好きではないのでSNSに投稿していた時も無加工でした。)

写真や動画に残せないものもあります。
味や匂い、風です。
それらは記憶に残すしかありません。
なので、心を空っぽにして、その瞬間に没入して、全身全霊で感じ取って記憶します。
そこには何もテクノロジーは介さないし、他人も介入しない、
私とその感動だけの時間です。
私は、この没入感が好きで、リラックスできてストレス発散になります。

そんなことに気付けたのも、SNS依存から脱した最近です。
何年も自分として生きてきたのに、自分が本当に好きなこと、リラックスできることに気付くのに、随分と時間がかかった気がします。
手放すことで、得られるものもある、ということですね。


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