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ツーショットの遺影

「これを選んだ日から全てが変わったね」
成人式から帰宅し、振袖を脱ぐのを手伝ってくれた母がそう呟いた。
振袖を選んだあの日、母に自傷行為がバレた。

どんなに暑くても必ずカーディガンを羽織り、制服のYシャツは長袖を捲る方がなんかオシャレみたいな風潮に助けられ、半袖を着なくても良いバイト先を選んだ。
切る場所は7分丈で隠れる範囲だけ、と決めていた事もあり、そこそこ自然に隠せていた(と信じたい)

そんな自傷隠しを徹底して数年、母と振袖を選びに行ったあの日、最悪の凡ミスをかました。

「ご試着の際はそちらのカーディガンは脱いでいただいた方が良いですね」
「お洋服の上から軽く着付けるのでご試着はこの場で…」

夏用のポンチョ風レースカーディガン。
通気性も良く、自然に腕隠しが可能なこのカーディガンを愛用…過信しすぎていた。

絶望で頭が真っ白になっている私をよそに、母は感慨深いような笑みを浮かべてこちらを見ている。今から生身の赤筋大根がお披露目されるなど露知らず。

母に背を向けるようにカーディガンを脱いだ。店員さんが手際よく着付けてくれる。この辺りから記憶がおぼつかない。母の顔は見れなかった。

とりあえずレンタルする振袖は決まり、店員さんに「こちらを持っていただいて記念にお写真良いですか?」と促される。
最早「はい」しか口にできない私達は肩を並べてインスタ風のフレームを手に持った。
撮ってもらった写真はツーショットの遺影みたいだった。


数日後の夜、ノックと同時に母が部屋に入ってきた。
母は頼んでも頑なにノックをしない主義なので少し戸惑いつつ「どうしたの?」と訊ねると「あんたの左腕の事だよ」と重い口を開いてくれた。

小学校で5年間いじめられていた事、中学でスクールカウンセラーに相談していた事、毎日のように駅の救護室にお世話になっている事などを喚き散らすように明かした。
何も知らない母は、ほんの一部に過ぎないこれらに絶句し「気付けなくてごめんね」と泣いた。
自傷行為の根本原因はこの家とあなた達だとは言えなかったけど。
その後、私は思春期病棟に入り、翌年には父も精神を病んで寝たきりになった。

母からすれば、振袖を選んだあの日から全てが変わったのかもしれないけど、変わったんじゃないよ。
あの日をきっかけに、みんな化けの皮が剥がれたってだけ。


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