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なんとなくでも、書いてみる。

noteを書かなくなってから約1年。ひさしぶりにエディタを開いた。このまっしろな画面の右上にぴょこんとアイコンがある感じ、ちょっと懐かしい。

わたしはnoteを「なんとなく」書かなくなった。

スキ数のような一時的な反応に一喜一憂する状況に疲れたとか、情報過多なネット社会そのものに疲れたとか、公募に力を入れたくなったとか、note以外の場でエッセイのお仕事をいただけたとか、家にこもりすぎて心を動かされるエピソードが減ったとか、今思い返せばいろんな理由がある気もするけれど、一言でいえば「なんとなく、しばらくはいいかなと思った」というのがいちばんしっくりくる。

そんなわたしがこうしてひさしぶりにnoteのエディタを開いたのも、なんとなくだ。

なんとなくだけど、たぶんこのなんとなくにもいろんなものが詰まっている。わたしはきっと、変化したいのだ。現状を打開したい。そんな思いがあるのだと思う。それを「なんとなく」と呼んでごまかしている。



上半期は、ずっと書いていた。主に小説を書いていた。毎日コツコツ、だれに見せるでもないものを書き続けていた。

転職してもフリーランスになっても、思うように時間を捻出できず、いや、時間よりも気力を捻出できず、小説にはなかなか手をつけられずにいた。書き始めることが怖かったし、書き終えられずに途中でやめてしまう自分に出会うのがイヤだった。

今年こそと思って書き始めてみたら、なんとか続けることができた。仕上がった作品たちを見て、今の自分はこんな感じなんだな、と思った。ちょっとだけ自信がついて、ちょっとだけ自信を失った。

夏のあいだは少し休憩して、秋からまた、書こうかなと思っている。もう秋だけど。



ここ最近は、手応えのないふにゃふにゃの紙粘土みたいな地面の上で、えんえんと寝返りを打っている。そんな感じだ。

読んでいる本も追っているドラマもあるしハロプロの動画やエンゼルスの試合中継を観る楽しみもある。最近は漫画も読むようになった。おいしいものを食べると幸せ。カーテンの隙間から差す光、味噌汁の湯気。ささいなものにときめく余裕も多少はまだある。そういうのはもともと得意だ。文章を書くのは時々辛いけど好き。他の仕事もそこそこ好き。時間を持て余すことはまったくなくて、つまらない日なんてほとんどない。

でも、はちゃめちゃに面白い日は減っている。しかも、常に妙な不安感や緊張感と隣り合わせだ。そのせいか、体調もときどき崩す。

家があって、おいしいものを食べることができて、夜はあたたかい布団がある。組織に属していた頃ほど安定しているわけではないが仕事もあるし、好きなことをする時間もある。

めちゃくちゃ恵まれているじゃないかと思う。なのに、なんか不安だ。なんか不満だ。そう思ってしまう自分がイヤになってしまうこともあった。

でもこれは、わたしの捉え方だけの問題ではなさそうだ。人間ひとりの手には負えない環境のせいも大きい。

ただ普通に生活したいだけなのに、自分や家族や他人の健康リスクを常に心配しなければならない状態。人々の価値観の違いがこれまで以上に露わになり、ぶつかりあっている状態。道行く人の行動にハラハラし、ときには怒りたくなったりしてしまう状態。そういうのがすべてストレスとなって、積み重なってきたのだろう。

小さな幸せをいくら見つけても拭いきれない細かい泥のようなものが、わたしの心の底にはびっちりとはりついている。



そういうものにばかり、エネルギーを吸い取られているからだろうか。自分には制御できない大きな波に呑まれてしまっているからだろうか。

ここ数ヶ月……いや、一年くらい?
「日常を書く」ことにおいて手応えがない。
終わりのない自問自答を繰り返してしまう。

またこれか。この前も似たようなこと書かなかったっけ?こういう感じ飽きたわ。というか飽きられているんだろうと思うわ。でも思いつかないんだわ。枯渇してるわ。外出しないし、人に会わないし、お店にも行かないしね。沸き上がってくるものがないんだわ。なんかこう視界がパッと明るくなるような瞬間も少なくて。

もっと自由に書いたらどうや?自由ってなんだよ。どうやるんだよ。自由も何も、みなぎる正のエネルギーみたいなのがないのよ。びびびっとくる感じがないの。



もちろん日常だから、大きなストーリーやドラマがないのは仕方ない。でもこの頃は、夫が家にいない日が多いこともあってか「ちょっぴりいいシーン」や「ほんのり心に残るエピソード」すらあんまりない。

エンタメからそれらを享受することはできても、わたしの身の回りにはほとんどない。もしかしたらあるのかもしれないけれど、なかなか見つけられないのだ。

すると過去に意識が向いてしまう。過去のよかったことを思い出して、満足しようとしてしまう(逆にイヤなことを思い出してげんなりすることもある)。

うーん、過去もいいんだけど、わたしは今をもっと楽しみたいんだよね。楽しくしたい。

だから、楽しいことを探しながら生きている。

そのなかで思い至ったのは、やっぱり、ちゃんと頑張らなきゃいけないな、ということ。頑張っているときがいちばん楽しいからだ。

別にそれは、無理して徹夜をするとか、部活並みに自分を鍛えるとか、気を張り詰めて完璧にこなすとか、そういうことではなく、自分に合った方法とペースで、ひとつひとつのことを一生懸命、ときには泥臭くやってみることなんだろうと思う。投げやりにしないことだと思う。ちいさな家事でも、運動でも、勉強でも、会話でも、一行の文を書くことでも。投げやりにしないことは、自分や他人を大事にすることにつながる。




これからもわたしはちびちび書く。

現実を受け止めるために日々を記録する。
なんとなく思っていることを残しておくために記録する。
ほんの少しでもおもしろいと思ったら記録する。おもしろくなくても記録する。
振り返ると意外とおもしろいことが隠れているかもしれないから記録する。
身の回りに心が動くシーンがないなら自分で作ってみる。
言葉にするのが憚られることはフィクションに託すのもあり。

メモでも日記でもエッセイでも小説でもいいから、目的は何でもいいから、目的がなくてもいいから、なんとなく、書いてみたらいいんじゃないか。そしたら見えてくるものがあるんじゃないか。

そんな気がしているのだ。



結局ここまで、まとまりも脈絡もないことをつらつらと書いた。

わたしはnoteを主に作品を置く場所として使ってきたけれど、今回のような肩の力を抜いた使い方もいいなと思う。

なんとなく開いてなんとなく綴れる。SNSはもともとそういう場所だったはずだから。

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