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外出自粛中ファッションを楽しんだら心の膿が取れた話

コロナによる外出自粛要請の中、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

私も例にもれず、不要不急の外出を控え家にひきこもる日々を送っているのですが、おうち時間が長いこの機会だからこそ、誰の目も気にせず、誰にも遠慮することなく、自宅で思いっきり自分の好きなファッションを楽しもう!と思い、憧れのデザインやブランドの服を買って着ることにハマっているうちに、何やら自分自身の根深い問題に気付き、それが解決したので書きます。誰かの役に立てるかもしれない。

私はファッションが好きな一方で目立つことが極度に苦手で(人目が気になってしまう)、お洒落=目立つこと、になってしまうためどうしても自分の好きなファッションは人目のない部屋の中で楽しむもの、となってしまうのですが、先日夜の人気(ひとけ)のない時間帯にお気に入りの服を着て散歩したら、とても気分が爽快でした。自己同一性が強化される感じ。自分に嘘をつかず、自分の好きなファッションをすることって大事な自己表現なんだなあ。何より人目を気にせず、なりたい自分でいられることの幸せを嚙みしめたのでした。
会社にいるときなんて、(これまた人目が気になる性格だからこそ)堅いオフィス着に身を包んでいたのですが、人目を気にしない同期は派手髪にアクセサリー、派手な服を着て伸び伸び仕事してたなあ~~しんど~~

今書きながら思ったのですが、これって中高時代の厳格な校則と母親の教育が影響している気がする。「お洒落=派手=悪」の方程式の価値観が刷り込まれているので、会社では研修中にも関わらず派手なヘアアクセやネイル、ピアス、ネックレス、指輪をしていたり金髪のような派手髪の同期に毎回イライラしてました。ところがどっこい、そうしたお洒落満喫側の価値観によると「お洒落=垢抜け=威厳」の図式らしいのです。つまり見た目がダサく自信がなさそうだとなめられる。見た目が派手で活気があるとイケてる。こんな具合です。これにはびっくり!まるで正反対の価値観、パラダイムシフトが起きたのでした。というか、そんな天真爛漫に職場で派手なお洒落を楽しめるほどまでに刈り取られなかった自尊心が羨ましい。こっちはちょ~~っとお洒落するだけで刈り取られまくってきたから。

でも、そもそもなんでお洒落ってダメだったんだろう?
それを考えると、結局受け手の印象論だと思うのです。支配者側からしたら、被支配者がお洒落だと自我を持っていて生意気そうで反抗的に見える。ただそれだけだったのかも。でも正直、お洒落をしていたところでそれを生意気と捉えるかどうかは相手の好みによるので、こちらとしてはどうしようもない。
(※接客業など、組織内で服装に規定がある場合は別です。)

…あれ?じゃあ結局お洒落していいんじゃん!怒られない限り!
…あれ?じゃあ、私が怯えていたのって正確には「人目」じゃなく、「他人の好み」だったってこと?なんてこった!
他人の好みなんか気にせず、自分が好きなものは我慢せず、ちゃんと好きでいて良かったんだなあ……。自分に自信が持てるお洒落は楽しんだ方がいいし、そのほうが健やかだ。

幼稚園の時からメイクに興味をもって、初めて父親にドラッグストアでリップを買ってもらったときはとても心がときめいた。ファッションに興味を持ってからは、母親に笑われながら母親のもとでの買い物を強いられ恥ずかしかった。一人で買い物をして帰ってきても、何を買ったのか毎回家族に聞かれてつらかった。幼くして摘まれた私のお洒落心の芽よ、ほんとうによく耐えてきたよ………。お疲れ様。そして、お待たせ。やっと君に水やりをすることができるよ。

今の私は社会人、自分で自分のすべてを決めることができる。支配からの解放である。もう私は支配者の目に怯えなくていいのだ。お洒落をして誰かにマイナス評価されたとしても、それで私の給料は下がらないし大事なものは奪われない。お洒落によって奪われるものはなにもないのだ。
好きな服を、お洒落を、楽しんでいくぞ!

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