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第8話 五瀬命死す その1

神武東征の旅  第8話 五瀬命いつせのみこと死す その1

まず日本書紀の方から、

五月八日、皇軍は(和泉の海)茅渟ちぬ山城水門やまきのみなとについた。その頃五瀬命いつせのみことの矢傷がひどく傷んだ。そこでみことは剣を撫で雄たけびして、「残念だ。丈夫ますらおが賊に傷つけられて、報いないで死ぬとは」といわれた。時の人は、よってそこを雄水門おのみなとと名付けた。進軍して紀の国の竈山に行き、五瀬命は軍中に亡くなった。よって竈山かまやまに葬った。

全現代語訳 日本書紀 講談社文庫

 古事記には「ちぬのうみ」の語源が記されます。

(和泉国の)血沼海ちぬのうみに行って、深傷の御手の血をお洗いになった。それでここの海を血沼海ということになった。そこからさらに廻航なさって、紀伊国の男の港に着いて、五瀬命は「賤しい奴のために手傷を負って死ぬのか」と仰せになって、怒り嘆いてお亡くなりになった。それでその港に名付けて、男水門おのみなとという。御陵は紀伊国の竈山かまやまにある。

新版 古事記 角川ソフィア文庫

 〝記紀きき〟の記述を元に、和泉国(大阪府泉南エリア)と紀伊国(和歌山)に伝承地があります。

まずは、「皇軍は(和泉の海)茅渟ちぬ山城水門やまきのみなと(別名 山井水門やまのいのみなと)についた」という記述に関連する伝承地を訪ねます。

 大阪府泉南市男里おのさとにある 男神社おのじんじゃ(おたけびの宮)。ご祭神は、神日本磐余彦命かむやまといわれびこのみこと  彦五瀬命ひこいつせのみこと 天児屋根命あめのこやねのみこと 熊野速玉命くまのはやたまのみことの4柱。

ニの鳥居
男神社拝殿

 元は「浜宮」の地に鎮座していたものを、波に侵食されるため859年に現在地に遷座したと伝わります。その男神社おのじんじゃ 浜宮の地(天神の森)に雄水門顕彰碑おのみなとけんしょうひが建っていました。

雄水門おのみなと顕彰碑
男神社浜宮
ご朱印


山の井遺跡

同じく泉南市 男里おのさとには地元の方が建立した碑がありました。

泉南市樽井地区にも山の井遺跡やまのいいせきの碑と玉垣がありました。

山の井遺跡


   男乃宇刀神社おのうとじんじゃ

和泉市には男乃宇刀神社があります。ご祭神は、彦五瀬命ひこいつせのみこと 神日本磐余彦命かむやまといわれびこのみこと 五十瓊敷入彦命いにしきいりひこのみこと

 

 日根神社ひねじんじゃ

 泉佐野市の日根神社ひねじんじゃ。神武天皇は当地に於いて、日の国を治める天照大神あまてらすおおみかみの国を治め治める素戔嗚尊すさのおののみことに戦勝を祈願されたと伝わります(日根野の地名の由来にもなっている)。

 

 
 茅渟海ちぬのうみ山城水門やまきのみなと(別名 山井水門やまのいのみなと)、五瀬命いつせのみことの伝承地を巡ってきました。

    余談ですが、クロダイのことを関西では「チヌ」といいます。これも丨茅渟海《ちぬのうみ》からきているという説もあります。泉南市樽井には丨茅渟神社《ちぬじんじゃ》があって、釣りの愛好家が供養と釣りの安全を祈願して全国から訪れるそうです。

 
ランチタイム

お昼は〝恋人の聖地〟「泉南マーブルビーチ」と関空連絡橋を眺めながら 
ミニ天丼セット。 もう少し映えるもの注文すればよかった(笑)
せっかく茅渟海ちぬのうみに来たならやっぱこれでしょ!ということで買って帰りました✨
 食事&買物をしたところ サザンぴあ


次回は「五瀬命死す②」和歌山市を訪れました。お楽しみに〜!










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