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note始めました。わからない事も多いのでいろいろ教えてください。少しづつ慣れていきますので皆さまどうぞよろしくお願いします。

マガジン

  • 神武東征の旅

    『古事記』『日本書紀』に記される神武天皇の東征譚。史実なのか、つくり話しなのか。東征ルートをたどってみたら何か感じることができるかもしれません。いっしょに時空を超えた旅をしてみましょう。

  • 饒速日命の伝承地を訪ねる

    『日本書紀』に神武天皇より先に天降ったと記される饒速日命。伝承地を巡りながら古代史の謎にせまってみたいと思います。

  • キキのお薦め社寺

    社寺を訪れる目的はそれぞれだと思います。私はどうしても歴史目線になってしまいがちなのですが、数行く中で、心地よく感じたり、空気が違っていたり、また次も来たい!と思えるところがあります。そうした社寺を皆さまにも紹介させていただきたいと思います。

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【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】

はじめに  今年の大河ドラマ「光る君へ」で脚光をあびる紫式部ですが、「源氏物語」を書いた時、人びとは、式部は「日本紀」(日本書紀)をよく読み取られたと感心してほめたそうです。  ご存知のように【記紀】とは「古事記」「日本書紀」をあわせた総称で、「古事記」は712年、「日本書紀」は720年に奏上された歴史書。特に「日本書紀」は六国史の第一にあたる我が国最古の正史です。  私は歴史が好きで、特に国の成り立ちに興味があります。きっかけは古墳です。文字も無かったと言われる時代に「

    • 神武東征の旅 第16話 大和平定と妄想話し

      神武東征の旅第16話 大和平定   長髄彦を倒した皇軍は、その後、帰順しない新城戸畔、居勢祝、猪祝の邑を攻めます。地図で確認しましょう。三か所の伝承地と大和の主な弥生遺跡をマークしています。地図で見ると磐余を中心として周辺の邑(遺跡)は既に帰順していて、今回登場するのは一番離れた場所の部族という感じです。 前回の記事で書きましたが、こうして見ると長髄彦との決戦地が生駒ではやはり違和感ありますね。決戦地は磐余周辺で、饒速日命が帰順したことによって多くのの邑を掌握したと考

      • ニギハヤヒの伝承地を訪ねる⑧ 石上神宮

         前回、物部氏の総氏神と言われる石上神宮に祖神 饒速日命が祀られていないと書きました。今回はなぜ饒速日命が祀られていないのかを考えてみようと思います。  ご祭神ですが、石上神宮にしか祀られていない神様 布都御魂大神と布留御魂大神。「つ」と「る」一字違うだけでややこしいですけど、意味を知るとを納得できると思います。 布都御魂大神  〝記紀〟神話の国譲りの段で 武甕雷神(古事記は建御雷神)と経津主神が葦原中国(日本の国土)を平定する時に用い、また、神武天皇東征の折には再び天

        • 第15話 長髄彦の巻

          神武東征の旅 第15話 長髄彦の巻  国中(奈良盆地)へ入ろうとする皇軍を待ち構える兄磯城軍。磯城邑にあふれんばかりです。まずは兄磯城に帰順をすすめるために、頭八咫烏、次に(帰順した)弟磯城。そして初登場?兄倉下と弟倉下(誰? 高倉下? 兄弟いたの?)を行かせますが、兄磯城は承伏しません。そこで軍師 椎根津彦は謀をたて、忍阪の道に女軍(陽動作戦で敵を引き付ける部隊)をやって、敵の精兵を深く誘い込みます。その間に炭をおこして道を塞いでいる墨坂の火を宇陀川の水で消して、主力精

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        【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】

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        • 神武東征の旅
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        • 饒速日命の伝承地を訪ねる
          8本
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          5本

        記事

          オススメの社寺⑤ 室生寺と龍穴神社

           近代(明治時代後半)まで女人結界が定められ、女性が参拝できなかった高野山。そんな時代にあっても祈りを届けたいという女性たちの願いを聴いた「女人高野」と呼ばれるお寺がありました。 「高野山にはの、女は入れへんがのう、この慈尊院までは上がれるんやしてよし。そやよってに、ここは女人高野と云うんやして。花は知ってたわの」有吉佐和子著『紀の川』冒頭に描かれる万年山 慈尊院の他に、妙法山 阿弥陀寺、不動坂口女人堂、そしてこちらの宀一山 室生寺が女人高野と呼ばれました。 室生寺 山号

          オススメの社寺⑤ 室生寺と龍穴神社

          ニギハヤヒの伝承地を訪ねる⑦ 磐船大神社と鴨習太神社

           これまで主に生駒山地の伝承地を訪ねてきましたが、生駒山地は大和川で区切られ、その南は金剛山地となります。金剛山地は明神山、二上山、岩橋山、葛城山、金剛山などから構成され、中でも葛城山は古代、葛城襲津彦を祖とする葛城氏の拠点であり、それよりもっと前の時代は、鴨氏や神武東征の論功行賞で葛城国造となった剣根命、そして尾張氏の本拠でもありました。  生駒山地と違い、金剛山地には饒速日命の伝承地はほとんど見当たりません。ただ、大阪側、大阪府南河内郡河南町に岩船大神社(栂の宮)と鴨習

          ニギハヤヒの伝承地を訪ねる⑦ 磐船大神社と鴨習太神社

          神武東征の旅第14話 宇陀② 忍坂大室の巻

          神武東征第14話 宇陀その2 忍阪大室の巻  神武天皇が、八十梟帥をどう打ち破れば良いか思い悩んでいたところ、夢に天神が現れて「天香具山の土で平瓦80枚とお神酒を入れる瓶子をつくって天神地祇を祀り、身を清めて呪詛せよ」と告げます。 さっそく椎根津彦と弟猾に天香久山の土を取りに行かせます。 天香久山 大和三山(畝傍山、天香久山、耳成山)の一つ。天から降り来た山とも言われ、香久山の土には霊力・呪力があると信じられていたようです。  現在山頂には国常立神社があり、国之常立

          神武東征の旅第14話 宇陀② 忍坂大室の巻

          オススメの社寺④ わが国最古の神社 大神神社

          今回は、わが国最古の神社 大神神社です。  第10代崇神天皇の御代、疫病が流行し人民の半数以上が死んで世の中が乱れました。その時に天皇の夢に現れた神が「私の子(子孫) 大田田根子に私を祀らせれば、たちどころに平穏になる」と仰せられ、茅渟県の陶邑(大阪府堺市)で大田田根子(三輪君の始祖)を見つけだし、大物主神を祭る祭主とした」と日本書紀は記します。 ※ 『古事記』は「意富多々泥古」 『大神神社』では「大直禰子」 いずれも読み方は〝おおたたねこ〟 崇神天皇7年11月の事です

          オススメの社寺④ わが国最古の神社 大神神社

          ニギハヤヒの伝承地を訪ねる⑥ 水神と風神と、妄想話しと

          今回はご祭神として祀られている広瀬大社を訪れました。 主祭神 若宇加能売命 相殿に 櫛玉命(饒速日命)     穂雷命(カグツチ)  社家の樋口氏が物部氏の末裔ということで相殿に櫛玉命(饒速日命)が祀られています。社家邸宅内にも境外末社 饒速日命社があるそうです。  丁未の乱で蘇我馬子・聖徳太子に敗れた物部氏は、祖神 櫛玉饒速日命を祀るのに、饒速日命の名を消し尊称だけにして櫛玉命として祀ったと言われています。  HPと違って境内由緒書きには櫛玉比売命となってい

          ニギハヤヒの伝承地を訪ねる⑥ 水神と風神と、妄想話しと

          神武東征の旅13話 宇陀の巻① 「国の始まり大和の国 郡の始まり宇陀郡 村の始まり穿邑」

          神武東征の旅第13話 宇陀の巻その1 「国の始まり大和の国 郡の始まり宇陀郡 村の始まり穿邑」 という古誦があります。宇陀郡は奈良県宇陀市、穿邑は現在の宇陀市菟田野宇賀志です。 宇賀志の血原 〝記紀〟を要約したような内容でして、短いのでこちらがわかりやすいかなと思い引用しました。 この時の勝利の宴で「久目歌」が歌われました。 宇菟の高城 久米歌にも登場した、皇軍の休息に築いたといわれる、わが国最古の城跡 宇菟の高城伝承地の一つ。 『日本書紀』では、このあと吉野巡幸

          神武東征の旅13話 宇陀の巻① 「国の始まり大和の国 郡の始まり宇陀郡 村の始まり穿邑」

          オススメの社寺③ 伊勢の神宮へ日帰り旅

          夜明けと共に出発して神宮へ。大阪から車で往復400km。御朱印のいただける正宮・別宮7宮を日帰りで巡ろうと少々無茶な計画でした。 禊  まず最初に向かったのが、二見興玉神社 興玉大神こと、猿田彦神が主祭神。神宮の参拝前に禊のために訪れる神社とも言われています。夫婦岩が有名ですね。 外宮 そして豊受大神宮 (外宮)へ。天照大御神の食事を司る御饌都神 豊受大御神をお祀りしています。まだ朝8時にも関わらず、たくさんの方が参拝に来られていました。境内別宮、豊受大御神の荒御魂

          オススメの社寺③ 伊勢の神宮へ日帰り旅

          ニギハヤヒの伝承地を訪ねる⑤ 桜井市外山と等彌神社

          奈良県桜井市外山 〝外山〟何と読むかご存知ですか? 「とび」です。  外山地区には、宗像神社や桜井茶臼山古墳などがあります。  前回の生駒市に鵄邑伝承地がありました。字は違いますが、こちらにも鵄(金鵄)に関する伝承があるのでしょうか? と思ったのですが、こちらの地名は、大和猿楽 外山座(後の能楽 宝生流)が当地を拠点としたことに由来するもののようです。 そして今回の本題の鳥見山があります。 鳥見山には二つの伝承があります。 一つは『先代旧事本紀』に記す饒速日

          ニギハヤヒの伝承地を訪ねる⑤ 桜井市外山と等彌神社

          第12話 吉野の国つ神の巻

          神武東征の旅 第12話  吉野の国つ神の巻 皇軍は八咫烏の先導で紀伊山地を越え、吉野から宇陀に入ります。 『古事記』は、吉野川の河口に着き、最初登場するのは贄持之子、次に井氷鹿、次に岩押分之子、そして宇陀へ入ります。 『日本書紀』は逆で、まず最初に宇陀に着き兄猾を討ちます。その後に吉野を巡幸され、井光、石押分之子、苞苴担之子の順で登場します。 〝記紀〟共に、石押分之子と井光(井氷鹿)は尻尾のある人(有尾人)と描かれます。〝記紀〟は、まつろわぬ(従わない)人々を土蜘蛛と

          第12話 吉野の国つ神の巻

          オススメの社寺② 『古事記』 太安萬侶ゆかりの多(おお)神社

          昭和54年1月、奈良市此瀬の里の茶畑から 太安萬侶の墓が発見され、マスコミ各社は一斉に世紀の大発見と報じました。  〝記紀〟に批判的な戦後の歴史学者の中には実在を疑問視する者もいましたが、この発見によって実在が証明されました。  おそらく、実在しないとか、古事記は偽書だとか、いろいろ言われて我慢ならなかったのでしょうね。「好き勝手言ってんじゃねー!」とまぁ、怒り心頭で出てこられたんだと思います😊 橿原考古学研究所のYouTube 今回はその太安萬侶ゆかりの多神社を

          オススメの社寺② 『古事記』 太安萬侶ゆかりの多(おお)神社

          ニギハヤヒの伝承地を訪ねる④ 生駒市の伝承地めぐり

           奈良県生駒市は、前回記事の大和郡山市の北西に位置します。 長髄彦本拠碑、鳥見白庭山碑、饒速日命墳墓、夫婦塚碑(妻の御炊屋姫の墓)、鵄邑顕彰碑。一通り揃っていますので順番に見ていきましょう。 長髄彦本拠 生駒市上町 「前の池」のほとりにあります。元あったところが宅地開発で「白庭台」という住宅地になった為、この地に移されたとの事です。 鳥見の白庭山 『先代旧事本紀』は、「饒速日命は河内国河上の哮峯に天降られた。さらに、大倭国の鳥見の白庭山にお遷りなった」と記します。その伝

          ニギハヤヒの伝承地を訪ねる④ 生駒市の伝承地めぐり

          第11話 八咫烏の巻

          神武東征の旅⑪ 頭八咫烏の巻 八咫烏登場 『日本書紀』は天照大神が神武天皇の夢に現れて、『古事記』は高木神が高倉下に告げて、八咫烏を遣わします。八咫烏が先導して皇軍は無事紀伊山地を越え吉野から宇陀へ入ることができました。 どういうルートを行ったかはわかりませんが、例えば、修験道の修行の道「 大峯奥駈道」を縦走して熊野から吉野へ向うと6日間程かかるそうです。 八咫烏とはいったい何者? ちなみに『日本書紀』は頭八咫烏と記します。私は、神武天皇を導いた頭八咫烏は、紀伊

          第11話 八咫烏の巻