見出し画像

サービスはだれのもの?

思い入れの強いサービス(事業)を設計した時に、ふとこの言葉を思い出します。

「このサービスは誰のためにつくったの?」

”ブランドイメージ”を強く持つ心に置くことは重要だけど、それはこのコンセプト(思い)に気が付いていただき、手に取って吟味して選ばれて初めて、価値が出るんだということを忘れないようにするためのおまじないです。

”広告を出しても、簡易登録があったけど、こちらからメールを送ったけど誰一人も反応しなかった。”

この反応ない人は、広告に興味のなかった人なのでしょうか?

担当者は言います。

「もし、本気でやりたいと思うなら、こちらからお礼メールを送った時点で反応するはずです。」

本当にそうでしょうか?全員が最初から、そんなに前のめりで反応するのでしょうか?

(このご時世にメールのコミュニケーションは最適解なの?)

もう一歩背中を押される(受動的)な状況は、自社のサービスには不要としていいのでしょうか?

「メールで反応ないなら、最初のアクションを電話にしてみたらどうでしょうか?」

「(価値あるコンセプトなんで)こちらからメール送っても反応ない人に、電話連絡するって何の必要があるんですか?自社サイトからだとメール送ればレスきます。このサイトに来る人は、当社のサービスには興味がない人なんです。」

自社サイトではないところで、自社の認知がどれくらいあるのでしょうか?

そもそも、興味を持ったからひとまず、興味ありのフラグを立てたのでは?でも、メールはあまり見ないのでは?

新サービスを提供する上で、まずは商品を知ってもらい、手に取ってもらい、吟味・選択する壇上に挙げてもらわなければ、モールでは商品は埋もれるばかりです。

類似したサービス、それ以上に価値あるサービスは、マウスイヤーレベルで生まれてきます。

そんな中、一瞬でも興味を持ってくれた方に、「より詳しいご案内をする方法はメールだけなのか?」

メール見ていないけど、電話で繋がる可能性はないの?

メール一回目で反応する人だけが、ターゲットなの?

そういう考え方もあるとは思います。でも私は、誰一人としてほぼ認知されていないサービスを理解してもらうためには、一度でも手にとって見た人に、「もう少し話を聞いてみませんか?(意向あげ)」をしたいと考えました。

「でも、いままで他社での経験もそうでしたし、自社サイトでもそうですし、みんなで決めたことなので・・」

「そうですか。」

これは過去に実際にあった話です。

”サービスは誰のために、何のために作ったのだろう。その、サービスに対するプライドはお客様のためなんだろうか・・・”いまでも、疑問に思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?