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お祭りはライフワーク〜すずめ踊りを通して

 こんにちは!リズム保育園の板橋です。
皆さんはお祭りが好きですか?私は大好きです。仙台のお祭りといえば一般的に「仙台七夕まつり」が思い浮かぶと思いますが、実は他にも「仙台青葉まつり」という大きなお祭りもあるのです。そのお祭りの中で賑やかしに使われるのが「すずめ踊り」で、私は20年前からそのすずめ踊りの中の人をしています。お祭りは一般的に見るのが好きな人、参加するのが好きな人に分かれると思いますが、私は絶対に参加する方を選びます。

「すずめ踊り」とは?

 かれこれ400年以上も昔の話、慶長八年(1603年)仙台城築城の際、石垣工事に関わった石工職人たちが、仙台城が完成した祝いの席で、即興で踊ったのが始まりといわれています。扇子を持って踊る姿が餌をついばむ雀に似ており、伊達家の家紋も「竹に雀」であることから『すずめ踊り』と呼ばれました。
公式より抜粋)

そしてこの「すずめ踊り」は大阪の堺とも関係性が深いのです。なぜなら、その石工職人さんは大阪の堺から呼び集められた方々だったからです。築城工事に関わり、お城の構造の秘密を知ってしまった彼らは故郷に帰ることを禁じられ、仙台城下に住みついたそうです。

その彼らが考案した踊りが、仙台の伝承芸能として今日まで引き継がれてきたのです。

月日は流れ、堺のよさこいチームの方が仙台で行われた「みちのくYOSAKOIまつり」に参加された際に「すずめ踊り」と出会い、堺とゆかりの深いことを知り「堺すずめ踊り連盟」が出来たそうです。
これを読んでいる方の中でも「堺すずめ踊り」なら知っている!という方もいらっしゃるのではないでしょうか?今度どこかで「堺すずめ踊り」を見かけたら、「あ~、コレが仙台でもやってるのね」と思っていただけたら幸いです。


すずめ踊りとの出会い


私は初めから「すずめ踊り」がやりたくてチームに入った訳ではありません。最初は、職場の敬老会で踊ったYOSAKOI踊りがとても楽しかったので、またやりたい!と思ったのがきっかけでした。

やろう!と思ったことはすぐに行動に移すタイプなので、早速チーム探しです。YOSAKOIのチームも何百という団体があります。企業でやっている所、ダンス教室がやっている所、町内会でやっている所、年齢、職業、それぞれに色々なカラーを持っています。

その時は、引っ込み思案の我が子を何とかしようと思っていた時期でもあったので、子どもと一緒に楽しめそうなYOSAKOIのチームを探し、たどり着いたのが今のチーム「OH囃子来‘S(おはやしらいす)」です。
OH囃子来'sおかわり 📍仙台・青葉まつり 宵まつり (市民広場演舞場/第1部)

このチームは、ほとんどの人がもともと劇団が募集したワークショップのメンバーです。ワークショップが終わってからも続けたいとメンバーが立ち上げたのがこのチームでした。

それ故に振り付けや演出は劇団の方がやっていたので、他のチームに見られる踊りの「美しさ」や「正確さ」とはほど遠く、観客を喜ばせてなんぼ、驚かせてなんぼという方針。コンテストに出ても「大賞」より「オーディエンス賞」が欲しいという変わったチームでした。

ただ誤算だったのが、YOSAKOIをやるために入ったチームでしたが、のちに「すずめ踊り」をするチームだったことが分かり、必然的に「すずめ踊り」にも参加することになったことでした。仙台に生まれて30年数年、「すずめ踊り?聞いたことはあるけど、観たことない」という状態だったので、果たして自分にできるのかどうか、不安ばかりの始まりでした。まさかこれが自分のライフワークになろうとは、この時の私は知る由もなかったのです。

こうして始まった「すずめ踊り」でしたが、振り付けが始まるとすぐに不安は無くなりました。

まず他のチームと1番違うのは、持っている扇子です。
扇子には大きな筆文字で「それ」と書いてあります。観客の皆さんからの「それ!」という掛け声を促すためです。これまで何百ものチームを見てきましたが、扇子に文字が書いてあるチームは他にありません。

そして2番目に、斬新な振り付けです。志村けんさんの「アイーン」はじめ、お笑い要素満載、流行りネタ満載で、これも他のチームには無いところです。名物の振りの中には「ヤーッ」という掛け声とともに、法被から肩を出すという振りがあり、これには毎回観客の皆さんがびっくりした顔で驚いて喜んでくれます。

そんな観客の方の笑顔や驚く顔を見るのが、お祭りをやっていて本当に良かったなと思える瞬間です。


お祭りの他にも、ボランティアとして施設の行事に呼んでいただいたりする機会も多くあり、施設のご利用者様からも大変喜ばれています。涙ながらに感動してくださることもあり、そんな時は踊りながらこちらももらい泣きしてしまいます。

そうそう、引っ込み思案の娘はどうなったかというと、家族以外の沢山の大人や子どもたちと関わることや褒められることで自信がつき、好奇心旺盛な子になりました。家族以外で子どもの成長を見届けてくれる仲間たちが居ることは、本当に幸せなことです。

2年前に隣県へ嫁ぎましたが、20年経った今も「すずめ踊り」を続けており、さらには今は娘婿も一緒に踊ってくれています。
娘も私もこのチームで人と関わることの大切さを学びました。今ではみんな家族のような存在となり、チームの子ども達は今でも自分の子どものようにも思え、大きくなっても勝手に成長を見守っています。その内の1名はリズム保育園にスカウトし、一緒に働いています(笑)。


踊り手からお囃子手へ

踊り手として祭りに参加していましたが、5年後に転機が訪れました。それまでお囃子手は和太鼓のチームにお願いして演奏してもらっていたのですが、自分も和太鼓をやってみたいと思い始めたのです。
そこでまずはそのチームに入会し基礎を学ばせてもらいました。

やがて他でやっている和太鼓のワークショップなどに通ってみたり、知り合いに教えてもらったりと少しだけ腕を上げたつもりになった私は、今度は自分たちのチームが欲しくなり、町内会に和太鼓のチームを作りました。

その時は自分の太鼓すら持っていなかったので、町内に住んでいる太鼓を持っている人がいると聞いては勧誘したり、宝くじ助成金に申請して見事和太鼓セットを手に入れたりと、あれよあれよという間に外見だけは立派な和太鼓チームが出来ました。

とは言っても経験者がほぼ居ない素人集団。苦戦はしましたが、町内会からは引っ張りだこ?で、新年会など様々な行事に招かれ演奏をしていました。

そして調子に乗った素人たちは、すずめ踊りの方でもお囃子方が出来るのではないか?という、今だったら恥ずかしくなるような考えで、すずめ踊りのお囃子にまで進出してしまい、自前のお囃子隊を作ってしまったのです!
それ以来、私はお囃子方の方からすずめ踊りに参加しています。

更には仙台で行われている「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」に和楽器バンド
「NOBISHIRO(のびしろ)」として5年連続出場を果たしましたが、それはまた別のお話です。

そんなこんなで20年続けてきたすずめ踊りですが、このコロナ禍によってお祭りは2年連続の中止となりました。練習も始めのうちは参加できる人だけでもというスタンスでやっていましたが、目標となるお祭りがないこと、参加できるメンバーが限定されることでしばらくの間はお休みとなりました。

お祭りができるのが「あたりまえ」の18年間を過ごしてきましたが、それは「あたりまえ」ではなかったことに気付かされた2年間でした。明日が必ず来るとは限らないのだから、出来るときに出来ることをしなければ後悔することもある、ということを学んだのです。
それに気付いただけでもこの2年間は無駄ではなかったと思っています。

3年ぶりの青葉まつり

先日、3年ぶりに青葉まつりが開催されることになり、無事に参加することができました。
人数制限やワクチン接種の有無など様々な制約の中、参加できたのはメンバーの半数以下である30名弱でした。
チームとしての不参加も考えました。しかし、ここでまた1年休むことによってみんなのモチベーションが下がってしまうのではないか、誰かが続けていることによって戻って来やすくもなるのではないか、伝統を下の世代に引き継いでいかなくては!という思いで参加を決めました。
 
肝心の演舞はというと、この2年間のくすぶっていた思いが溢れてしまい、「やっぱり、お祭りは楽しいね」と言っては泣き笑い、沿道に参加できなかったメンバーを見つけては泣き笑い、みんなの笑顔が眩しすぎては泣き笑い、そんなお祭りとなりました。何より観客の皆さんの喜んでいる顔がたまらなく嬉しく感慨深いものとなりました。

なぜお祭りをやっているのか?と聞かれたら、こう答えます。
「仲間やお客さん、たくさん笑顔が見たくて、お祭りの中の人をやっています!」と。

Text by 板橋和枝(リズム保育園園長)


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