へこんじゃった。(一瞬)

お客さんから、ダメ出しをもらった。

初めてのnoteの記事がこんな感じでいいんだか、わかんない。
はじめてだもの。

僕の仕事は、建築設計。
2021年1月に個人事業主届けを出して、個人で建築設計を行っている。

プロなのに、ダメ出しもらっちゃうってだめじゃん。
って感じなんだけど、
今の自分に言ってもられるのは、お客さんからしか無い。
プロとしてこれからやっていくと言う自分の決心に対して
ダメ出しが、痛く痛感している。
今となっては、言ってもらえたことが、ありがたい。

お施主さんも、
「菊池くんの今後を考えた上で。」
とのことで伝えてくれた。

どんな内容なのかは、自分を守る意味でも明言を避けるけど、
今、自分の今後に必要な重要ポイントは「観察眼」と「伝える力」だと思った。

どう表現するべきか、、、書きながらまとめようと思ってるんだけど
自分も書きながら何になるか、わからないまま書いてみる。

設計には「スケール」と言う概念が非常に大事になってくる。
「スケール」は日本語でいうと縮尺。
例えば、
1/1は、原寸大、そのままの大きさを示す。
1/100は、実際の大きさを100分の1で小さくしたものを図面に表したりする。

1/1原寸大は、ミクロな(非常に小さい)情報とかを書き込めるし、
対して、1/1000とかの図面は大きな情報、マクロな情報を載せられる。
と言ったように使い分けている。
これは、決して図面だけの表現ではなくて、
このスケール感覚を掴むと、物事すらも縮尺で考える様になったりする。

例えば、住宅を建てると言う物事にスケールを当てはめるとすると
「家族」って視点で「住宅を建てる」って事を考えると
「これからの暮らし」とか「どんな生き方」とか明るい気持ちになってくるけど、
「社会」って大きさの視点で「住宅を建てる」って考えると
「空き家問題」「住宅ストック」「地球環境」とか、
なんだか雲行き怪しげに…。
ま、まぁ、いいこともあるけどね!!例えね。

今回自分は、「この地にこの建物を建てること」っというスケールに終始夢中になってしまっていたと思う。
しかし実際その命題の中には、もっと「暮らし」や「お施主さんが大切にしていること」があったと思う。微分の問題みたいに拡大していくと直線!みたいなスケールアップが必要だったんだと思う。(何その例え…?)

このスケールを自由に行き来して答えを見つけていく事が、暮らしに寄り添う建築家になりたい!と思っているなら絶対命題だし、大味気味になってしまっている今の自分の建築を改善する為の大事な所だと思う。

ん〜…これって一体?感覚ではわかるけど、この、どうして言ったら、
問題の構造のどこに力点があるのか、表面的な解決と対策だけでいいものか、言語化が苦手な僕は、明確な答えを出せてなかった。

しかし、ひょんな事にそんな今の自分に直撃するような動画を友達に教えてもらった。
そこには、今の自分が言語化できていなかった様な違和感?感覚みたいなことが見事に言葉になっていた。

明治大学の鞍田崇さんと京都精華大学の中村裕太さんの講義動画である。
元々、「民俗」「民藝」はとても興味のある分野の話だったが、建築学科では社会学の触れ部分しか学ばず、お恥ずかしながら「今和次郎」さんや「河井寛次郎」さんなど、お名前を断片的にしか聞いたことがない感じだった。
今の時代、こんな講義がyoutubeで聴講できるなんて。ありがたい時代である。

講義は、「民俗と建築にまつわる工芸」をテーマに講義が進んでいく。

すべてを紹介するには、もう文字起こし並になってしまうので
断片的に響いたワードを並べてみる。
(まだ自分も整理がついていない)

河井寛次郎「(日本の農家を見て)土地の上に建ったといふよりは、土地の中から生え上がったと言いたい」
濱田庄司「作ったというより生まれたという品が欲しい」
柳宗悦「生まれた器であって、作られた器ではない」

図ではなく地に向かう眼差し。
自分の中で「図」でとどまっていただんじゃないか。
生まれる感覚ではなく、「作る」にとどまっていただんじゃないか。
心にグサグサくる。

生まれる感覚はどうしたら育つだろうか。
見ながらずっと思っていた。

今和次郎さんの本を建築史家の藤森照信さんはこう解説していた。
「今和次郎が生涯を通して立脚したのは、仮小屋のシーンから文学性を抜いた物件としての仮小屋だった。(中略)たとえば、大きいものでは開拓農民の家から小さいものでは肥溜めの差し掛けまで、そうしたものの中に彼は”真”を見ていた」

また、ハイデガー「芸術は「美」の問題ではなく「真理」の問題」
と言った。

「真」とはなにか。
自分における今の真理はなんだろう。
めちゃくちゃ的と得た視点に
(なるほど…)と思いながら、また頭が痛くなる。

要は「真」を捉える力をどうつけるか。
なんだと思った。今の自分に必要なのは。
今和次郎は、圧倒的な「観察力」によって生活の中に「真」を見出して記録した。

建築をやっていると、「好きなスタイル」みたいなのが固定化してきて、
「伊礼智」さんとか、「中村好文」さん…「堀部安嗣」さん、、、とか
自分が好きなスタイルが出来上がってくる。
(この建築家の方は、こんな材料をつかって、こう作ってるんだー)
みたいなのがわかってくる。

やっていくと、いつの間にかそれは、上辺だけの「美」だけになってしまっていたりして。
本当の「暮らし」の大切な所はそこではないのに。
講義が今の自分の足りないところに痛烈に響く。

響くということは、今の自分に一番必要な言葉だったんだと思う。

さっきふと読んだ建築の本
「居心地のよさを追い求めて(永田昌民)」の中に
大好きな建築家の堀部安嗣さんと横内敏人さんの対談があった。

堀部さん「(横内さんのミニマリズムという表現について)一般的に言われているような、なにかを削ぎ落として、要素を減らして、線をなくしてということではないと思う。(中略)よく学生に話すんですけど、なにかを否定したり、排除していった先に出てくる単純さは簡単だよ。と。そういう方向で建築を考えてはいけない。人間の心や身体はもっと複雑だし、風土も複雑。複雑な全体を捉えて、そして単純化していくことが大切です。」

と。

んんん…また、はじめてのnoteの終着点がわからなくなってきたぞ。
(そして、「伝える力」について伝える体力がなくなってきたので、ここは、またにしたいと思う(笑))

まとめとして、
「スケールを行き来して「真理」を掴む」「「真理」を掴むために複雑な一つ一つを全部一旦解釈して、整理していくこと」が大事なのかなって思った。

おわり
んー書くのってすごい難しい!!(笑)




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