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「後戻りできなさ」への覚悟を引き受けた ──2019年5月

さて5月でございます。

5月といえば田植え、何もなかった田んぼにゴールデンウィークでどの田んぼにも一斉に苗が植えられてふしぎな光景でした。兼業農家だとゴールデンウィークが田植えのチャンスらしい。

私も田んぼで過ごしたGWが明けてから一つお仕事の依頼をいただき、後半はそのお仕事に脳みそを使った5月。

これもうれしいご縁でお話をいただき、たくさんの方にご協力いただいて戦いきることができた、と言えると思っています。そろそろお知らせできるのでもう少しお待ちを。


上記のお仕事でひさしぶりに地域取材におじゃましたり、新緑の景色を見るためにまた奥多摩におじゃましたりしたことで、強く思ったことを書きます。

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2018年10月から3月、人生の自由研究としてなんどもおじゃました東京最西端の限界集落・奥多摩町小河内地区。

その中でお会いできて私が強く惹かれたのが、 Ogouchi Banban Company の代表とパフォーマーのお二人で、お二人にうかがったお話を「ほぼ日の塾」の最終課題で表現しました。


その後も、むしろこの記事を書いた後のほうがコンスタントに小河内地区に足を運んでいて、記事に登場するお二人に毎回のごとく会っていただいています。

これまでの私の仕事において、インタビューを終えたその後も取材を受けてくださった方とお会いして関係を築けることがほぼありませんでした。多くの場合インタビュイーと連絡を取り合うのはライターではなく、私に依頼してくださった企業の方だから、という理由もあります。

でも当たり前のことですが、インタビューの前も後も、その方の人生は続いていきます。インタビューはあくまである瞬間のその方だし、しかもそのインタビューを踏まえた記事は私による恣意的な切り方でしかありません。

初対面で1時間しかお話していない方の人生をインタビューした私が表現することに対して、「わかったふりをしたくない」気持ちと、「できる限り表現したい」想いでいつも葛藤していました。

だからなおさら、インタビューのときにうかがえていないエピソードやインタビュー後のお互いの変化を毎回お話できる関係であれていることが心からうれしい。お付き合いくださっているお二人に感謝しています。

恒例の作曲作業に呼んでいただけてすごく楽しかった。新曲待ち遠しい……!


そして記事を世の中に出した後もお二人とお話できているからこそ、お会いするたびに強く実感していること。

それが、「後戻りできないんだな」ということです。

当たり前と言えば当たり前です。でも、私がこれまで書かせていただいたインタビュー記事の中で最もこの「後戻りできなさ」を強く感じているのは、このお二人のことを書いたほぼ日の塾最終課題でした。

簡単に言えば、私がほぼ日の塾の最終課題でやったことは、「言葉になっていないものを言葉にすること」です。「言葉にしなくてもよかったこと」を言葉にしてしまった、とも言えます。誰にも望まれていないことを勝手にやった、とも。


自分たちが生まれ育った小河内地区の人口がどんどん減っている現状を肌で感じ、自分たちが楽しむことで小河内を発信していこう、とまちおこし団体「Ogouchi Banban Company」、通称OBC(オービーシー)の活動をスタートされたお二人。

当初は私から見て、OBCもお二人もとにかく不思議でした。なにしろ、OBCとして共有しているものが何なのか、OBCがどういう団体でありたいのか、そんな質問をしても「わからないねえ」の解が返ってきたから。

これまで複数人で何かの活動をするときに、“ビジョン”であったり“行動指針”であったり、要するに自分たちが大切にしたいものと進みたい方角は「言葉」にして一緒に持っておくことが、私の中で当たり前になっていました。

だから「言葉にしない」選択肢があって、しかも言葉を頼っていないのに大切なものを共有できているように見えるし、5年以上もブレずに一緒に歩んでいることが大きな衝撃だったのです。

今まで私はずっとずっと「言葉」に頼りきりな人生を歩んできているので、「言葉に頼りきらない」お二人がどうしてそうあれるのだろう、と。

だからこそお二人の「言葉にしていないけれど共有している」部分に、私はすごく惹かれてしまった。

そんな「言葉になっていない」状態が気になりすぎて、アウトプットの形を決めないままにお二人にインタビューし、結果的に「ここしかない」と思った場、ほぼ日の塾発表の広場で最終課題として書かせていただいたのです。

前提としてこれは仕事じゃないし、お二人に頼まれたことでもありません。つまり私の自己満足にお付き合いいただいています。

そしてもちろん、「言葉にしきれた」とは思っていません。最終課題だってあのときの私にとってはマックスの力を出し切ったけれど、そのすぐ後の私が見たら悔しい部分はたくさんあります。

だけれど。それなのに。私が自分本位で書いた記事によって、お二人の人生の中にある小さな一つの物語が動き出した、ように見えるのです。

撮影/Ogouchi Banban Company

取材を受けた経験のあるパフォーマーのかんせんせいが、「こんなライターさんに出会ったことがなかった」とOBCファンのみなさんにリンクを送ってくださって。

かんせんせいから連絡を受けたOBCファンの方が、「OBCの二人とずっと付き合ってきたけれど、言葉にならなかったことがストンと落ちるような記事。すごい」とシェアしてくださって。

基本的に外の人に会わないし取材も受けないOBC代表の酒井さんが、毎度図々しく連絡している私にも、そして私の友だちにも会ってくださって。

今もお二人にお会いするとよく最終課題のお話になり、「自分のことを書かれた記事の中で一番真面目に読んだ」「紙媒体にして全戸配布したいんだけれど、つくってもいい?」と言ってくださって。

うれしすぎて心が震えると同時に、「言葉にすること」の行為が持つ強さと重みを受け止めようとする手までもぶるぶる震わせている自分がいます。


撮影/Ogouchi Banban Company


ここまで言うとおこがましいかもしれない。でもやっぱり、私が記事を書き、その記事をお二人がまっすぐに受け止めてくださったことで、お二人の何かがほんの少し動き出したような、そんな気がして。

インタビュー後もお二人にお会いできる関係でなかったら、そのことに気づかなかったかもしれない。

でもお二人は、インタビューのその後も会ってくださった。だからこそお二人のおかげで、無意識の中でずっと逃げようとしてきた事実にようやく向き合う勇気と覚悟を持てたように思います。

「書く」と決めた以上お二人を表現することに必死になりながら、「言葉になっていないものを言葉にすること」に向き合って見えてきたものを全身でえ表現した。

そしたらその記事が、もう私の力の及ばないところで誰かの物語を動かす力を持つようになっていた。


撮影/Ogouchi Banban Company


ああそうなのか。

「言葉になっていないものを言葉にすること」、つまり私がやりたいと思っていることは、後戻りできないものなのだ、と。


後戻りできなくない、つまり読んだところで誰の人生においても存在自体がなかったことになる記事よりも、誰かの人生が一歩前に進むきっかけになるような記事を書きたいとは思っていたけれど。

自分の記事が誰かの人生を変えてしまう可能性がある、という事実を受け止めることが怖かった。怖くてたまらなくて、逃げようとしている自分がいました。

だからすこーしずつ、毒気が抜かれた無難な記事に寄っていっていたのかもしれません。本当はそうでない記事を書きたいと思いながら、向き合うことが怖くて、覚悟を決められなくて。


撮影/Ogouchi Banban Company


でも期せずしてほぼ日の塾でお二人のことを書かせていただいたことで、ようやく覚悟を持とうと決めることができた。

もちろん私の思い込みかもしれないし、もはやインタビューをしなかった未来とは比較しようがないけれど。

コンテンツを出す以上は誰かの人生を動かしうることを、そして出したらもう「後戻りできない」可能性があることを、真っ正面から受け入れようと初めて思えたのです。


そして受け入れることで初めて、「後戻りできなさ」は荷物ではなく表現に挑む勇気になることも知りました。

だって、5月に力を注いだ記事を書きながら、OBCのかんせんせいと酒井さんのお二人が記事について言ってくださったことを何度も思い浮かべていたから。最後の最後に、何回ももうひと踏ん張りさせてくれたのはお二人でした。

お二人のことを書かせていただいたから次の表現に進める以上、やっぱりお二人にお見せできるものにしたい。そう決めることが、気づいたら自分の勇気になっていた。

だからもう、逃げないでいよう。後戻りできないところまできたんだから、「後戻りできなさ」を引き受けよう。

そう決めたことで自分の表現がどう変化していくのか、見つめていきたいと今は思っています。


おまけ:ほぼ日の塾最終課題の編集後記はこちら。


5月のお仕事

リニューアルした「キャリアハック」で、最近Twitterでも話題になっている「観察スケッチ」について、書籍を出されたプロダクトデザイナーの檜垣さんへのインタビュー(サブ)と記事の執筆を担当しました。

プロダクトは関わってきた人の子どものようなものだから、視点を変えれば日常には誰かの意図と愛が満ちている。この考え方って何気ない自分の日常を愛せるようになるヒントだよね。

フリーランスだからこそ意識して自分の“筋トレ”のための時間を確保することで、舞い込んでくるチャンスがあったり自信につながったりすることも教えてもらいました。

同じくキャリアハックで、ベンチャー企業のCTOを務めていらっしゃる伊藤さんへのインタビュー記事を執筆しました。

優秀な集団に入ったことで初めて挫折する姿は中高の同期に重ね合わせながら書きました。自分の大きさを知った後に、どう動けるのか。「もうプログラマーじゃなくてもいい」にはしびれたなあ。

自分とは違う存在だと線を引いてしまいがちな代名詞の一つが「東大出身」なのだろうな、と感じます。でも「自分とは違う人間だから」と境界線を引いてしまうことは簡単だけれど、彼らだって自分の実力に悔しがるし挫折するし、すごく努力している。その事実を捨象したくない。

幸いなことに「東大出身」の彼らが人間くさくもがいている姿をそばで見てきたからこそ、少しでも境界線の溝を浅くできるような記事を書いていきたいなとつねづね思います。


他にもインクワイアのお仕事で、リサーチ記事の執筆をはじめました。ほとんどインタビューをメインに書いてきたので、使う筋肉がぜんぜん違って新鮮。がんばります。

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さて6月。

冒頭の5月に力を注いだことが6月頭でひと段落して、ちょっと腑抜けになりかけていましたが、いい加減再起します。

今年は自分でやると決めたことがたくさんあって、優先順位も大きく変えたので今までと同じような時間の使い方をできなくなっているのですが、見守っていただけたらうれしいです。6月後半も走る!



言葉をつむぐための時間をよいものにするために、もしくはすきなひとたちを応援するために使わせていただこうと思います!