加速する人間社会と、生命資源と、新しい「スマート○○」について。

中途半端なスマート農業や、スマート漁業、スマート○○からは決別した方が良い、と思うようになって暫く経つ。人手不足を補うとか、人がラクするための作業効率化や省力化に注目/注力しているようでは、近視眼的に過ぎるからだ。(それすらも実現は遠い、お粗末なものばかりだが、そのことはここでは触れずに行きますw)

農業や漁業は、まだ解明されていない(そして、完全には解明されることはないであろう)超複雑系の自然環境メカニズムの上に在りながら、部分最適を追求し、自然を越えた速度での効率生産/収穫を行う活動(産業)、だ。

捕り過ぎないなんて、当たり前。更に、その対立関係や搾取関係をできる限りソフトに、自然環境への負のインパクトを軽減しようとするのがオーガニックの基本理念だとしても、それすら時代遅れなアプローチになりつつある。持続可能では全くなく、「少し先延ばしにする程度」の話であるのは明らかだからだ。

これからは、農業や漁業という産業を行えば行うほど、自然環境すらも同時に繁栄して行くような「相乗型」や「共栄型」を追求するのが、人の活動の在り方となっていく。

農業に限らず、人の生活や事業活動は全て、自然環境メカニズム(生態系)に組み込まれている。ハイペースな消費や収奪は、シンプルに、ハイペースな資源の枯渇という形で表れるように。

であれば、人やその活動が栄えると同時に、自然環境が栄える、というサイクルを積極的に作りに行くことこそが「スマート」で、テクノロジーの使い途としては、ここだ。

ただ単に人がよりラクに、より消費しやすくなる為のテクノロジーは、もはやお呼びでない時代が来ている。

資源が豊かにならずに、人は豊かにはならない。
資源を増やせずに、人は増やせない。


僕は「減速主義者」でも「自然回帰論者」でもない。どちらかと言うと、人間社会の加速を肯定しながらも、それを超える速度で資源も増やせるはずだという「シン・加速主義者」だ。そんな欲張りな立場、まだ誰も採ってないけど。

「いきものCo.」は、この理解に立ち、新しい生活スタイルや事業モデルに取り組む「次の時代の人たち」を増やしたいなぁ、と。

アマゾンの森林火災のニュースをヒリヒリした気持ちで観ながら、そんなことを考えてます。

きくち。

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