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思いが話され、放たれるとき

少し前に「純粋な気持ちを大事にしたい」と書いた。

久しぶりにまた、この「純粋」な業者さんへ。晴れてわりとあたたかいので外のガーデンチェアに座って待つことに。

思い出して「あれ(3月に担当の方が話してくれた、最近気にかけていること)はどうなりました?」と訊いてみた。すると、2ヶ月弱の間に状況に変化があったそう。「何だか違う」と思っていたことに思いがけない展開があって、今の状況については納得しているようだった。

それを聞いて「あー、ほんとよかったですねぇ」と伝える。
すると「なんか誰かがどこかできいていてくれたみたい(でうまくいってる)」と言うので「うーん、山がきいていてくれたんじゃないかな?」後ろに広がる北アルプスを指差して、笑いながら応えた。

3月、彼は「今の状況は、自分は何だか違う、おかしいと感じる。自分は名誉やお金よりも(とあることを)純粋に楽しみたいという気持ちを大事にしたい」と言って自分でも、どこにぶつけたら、どうしたらいいかわからない気持ちをわたしに語ってくれた。わたしはただ、それをきいていただけ。思いが話され、放たれたその後、状況は動いたようだ。


昨晩、ある知人から「◯◯(催し)を△△(場所)で、やりたい」みたいなメッセージが来た。わたしは、それほど思い入れはないので正直、自分でやってくれ、って感じた。ちっとも、わたしの出番じゃない。けど、その思いをわかってくれそうな人たちの場にシェアした。後から考えたら余計なことかもしれないけど。

「◯◯を△△でしたい」それが純粋な気持ちであれば、必要なことが起こって、動いていくんだろうなと思っている。あるいは、その思いを持つ本人が自ら動いたって全然いい。他人に委ねるほどは難しくはなさそうな案件だし。知らんけど。

このふたつの出来事から関連して受け取ったのは「誰かの思いが話され、放たれたのを聞いたからといって、ただ、きくだけでいい。いちいちそれにお世話してみたり、応じなくてもいい」ってこと。例えばわたしが出てしまうことによって、本人の必要な「機会」を奪ってしまうかもしれない。
放たれた思いは、きっと何かしらの形で実現していく、のだから。



答えはすでに自分の内にある。
わたしができるのはそのお手伝い、だけ。

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