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今更ながら映画「JOKER」の個人的感想…笑 光とハチクロとちょこっとだけ少年A

他人様のご意見を拝読すると、

映画の99%はアーサーの妄想の物語であったり、

主人公は泣くべきタイミングで大声で笑い出すから、泣かない孤独な男は、笑う無敵の人になるであったり、

主人公の周りにいる人達の『想像力の欠如』がJOKERを生み出したと指摘したり、

JOKERを理解したつもりになった人間がJOKERを生む危険性を示唆していることであったり・・・

様々な意見があって、とても勉強になります!

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個人的には、映画館に3度通って見たほど大好きな映画でした。1回目に見た時の衝撃が凄くて、早乙女哲哉さんの天ぷらランチを食べ終わった時の如く、頭ふらふら状態になりましたね。笑

ブルーレイのDVDは勿論買ったし、パンフレットも買いましたよ!

ダークナイトでヒースレジャーが演じるJOKERを好きだった自分にとっては、このホアキンフェニックスが演じるJOKERによって、また違うJOKERの一面が見れたので好きになりました。

ダークナイトの予告ポスター

勿論、ダークナイトの続編、「ダークナイト ライジング」もベインにドはまりしましたね。笑

「ダークナイト ライジング」のクリアファイル

ダークナイトライジングでは、アメリカの国家を歌うシーンが印象に残ってますね。まさに、「Lovely lovely voice」ですよ。笑


以下、映画「JOKER」で個人的に気になった部分を、
取りとめもなく綴っていきたいと思います。

①光の使い方が気になった。ハチクロと被らない。


JOKERの映画を見ていて一番印象的だったのは「光の使い方」です。この光っていうのは、主人公が自分の思いに素直になって行動して、「自由」になった時に現れるんですよね。

①-1:勤めていた派遣会社を辞めるシーン

①-2:血縁関係が無かった”母親”を殺した後のシーン

①-3:仮装して階段で踊るシーン

①-4:テレビ出演するシーン

①-5:大衆に崇め奉られるシーン

①-6:ラストで病院内で踊っているシーン

で、個人的にはこの「光」の表現って結構ポジティブなイメージで語られることが多いと思うんです。

例えば、ワンピースのオープニング曲に「ヒカリへ」があります。

あふれだす情熱を胸に どこまでも行くよ
まだ見ぬヒカリ 求め

ヒカリへ ザ・ベイビースターズ

なんて歌詞は、まさにその権化で分かりやすいです。

ハチクロが描く「光」のポジティブなイメージ


JOKERの「光」を見て真っ先に思い出したのがハチクロです。

ハチクロ第2部の6話にて、しのぶのお父さんが発明した「カブタン」のエピソードがあります。

このカブタンは光が照らされる方向へと進むロボットなのです。で、このロボットは、しのぶの兄である「かおる」と対比され、ハチクロ第2部の7話では、光の方向へ走るも、反対側からくる「闇」に飲まれてしまう描写があります。

カブタンの発明者である父が息子たちに対して、

「前へ進め。いいか?前へだ。
黒い気持ちに追いつかれるな。光の方へ走れ。」

と伝えていることから、光がポジティブなことであり、その反対にある闇(=黒い気持ち)はネガティブなこととして捉えていることが分かります。

このハチクロを見た時は、JOKERを見た時よりもずっと前の事でしたから、当時は「なるほどな…光の方へ進めばいいのか…」と感心したのですが、今ではその気持ちが薄れています。

JOKERにとっての「光」が、大衆にとっての「闇」だったことに、何とも言えない哀れさがある


例えば、①-2の母親を殺すシーンなんて、ハチクロとしては、光ではなくて「闇」に当たる部分ですよね。それをこのJOKERという映画では、「光(つまり、ポジティブ)」なモノととして描いているわけです。

①-6のラストシーンなんて、カウンセラーを殺して病院内で踊っているただの異常者ですが、まばゆい光に囲まれて、JOKERは嬉しそうなのです。一般的な感覚で示せば、真っ黒な闇なのに、映画では輝きを放っています。

つまり、JOKERは世間一般と比較して、光と闇が逆転しているところに、JOKERの不運があるのではないかと思うのです。

JOKERが自分を出そうとする(=光を浴びようとする)と、それは大衆にとって「闇」だから、大衆から忌み嫌われるので、JOKERは抑圧するしかない。そんなフラストレーションを爆発させて、JOKERが光をまとった結果、周りの人達は「闇」に葬られてしまった。

こんなんだから、JOKERが世間と合うなんてことは決してあり得ないだろうなと確信が持てますよね。

JOKERのネタ帳の中に、「世間が異常者に対して『普通の人みたいにしてろ』と言う」みたいな文言が記載されてましたが、まさにJOKERの抑圧を表したものだと思います。また、JOKERがスタンドアップコメディーを鑑賞しに行った際に、他の客と笑いのツボが異なっていた点も、その哀れさを如実に表しています。

教育者として悩ましい問題


普通は、光が示すのは良い事や善行なので、子ども達に対して、カブタンの発明者のように、「光の方へ行け」と言えば、たいていの人は良いことをすると思うんですけど、中には、その子の光が、大衆にとっては「闇」である場合があるのだから、迂闊に言えないなと、JOKERの映画を見て思いました。

JOKERと少年Aが重なって見えた気もする・・・


先日、少年Aが書いた本について感想を書いたのですが、

JOKERってまさにコイツだなと思いました。

他人様の意見にて、99%の部分がJOKERの妄想っていうのも、この少年Aが口だけの妄想野郎であることと被りますし。笑

そんなアホみたいな事実はさておき、この少年Aが、「死」という大衆にとって「闇」である部分に、「光」を見てしまったのが、コイツの悲劇だなと思うのです。

で、コイツは、夜に電柱の光に吸い寄せられる虫けらの如く、「死」の放つ「光」に吸い寄せられて、そこで狂った行動をしでかした。それが、少年Aに関する事件の全貌ではないかと思うのです。

話変わって、この少年Aに対して1つ言及しておきたいことは、コイツが本の中で、

”喜劇“は突き詰めれば”悲劇になり、”悲劇“は突き詰めれば”喜劇“になるのかもしれない。

と記していたことである。これは、映画JOKERの中でも、

俺の人生は悲劇だと思っていたが、違った。喜劇だった。

みたいなセリフで使われており、JOKERの核心部分の1つである。

ただ、この言葉は、元々、チャップリンの

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ

という名言からきているものであるから、少年Aがどこかでその名言を知っていて、ただただ引用しただけであろうと推測します。

他人の真似事の張りぼてで作られたオリジナリティーの欠片もないクソみたいな駄文から察するに、コイツが生み出した言葉ではないことは丸分かりですから…笑

②That's lifeが最高過ぎる!!!


JOKERの中で何回も挿入曲として流れる「That’s life」にハマりました。


で、個人的には「That’s life」から「My way」と辿り着いたのですが、My wayも最高すぎますね…笑

日本語ヴァージョンを布施明が凄すぎボイスで歌い上げてます!

心の決めたままに~~~!!!

『年取った時に、この「My way」を照れずに真剣に歌えるような人生を送る』というのが自分の目標の一つであります。そのためにも、自分の心がきめたままに、my wayを、情熱を持って前進していきたいと思っています。

追記

JOKERにもこの詩を読んであげたいわ。

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。
自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう

自分があるとき
他人があり
世界がある

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お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。

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これが僕の“今日育”目標である。

まぁ、「知らねぇ」ってJOKERに言われて殺されそうな気がするが…笑

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