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進路指導 〜母の思い出

私が中学3年のときである。
進路指導として、母は担任の先生と個人面談をした。「二者面談」って言ってた気もする。
中学でも高校でも「三者面談」ってやつもやったんだろうけど、その記憶はあまりない。嫌な時間だったから、記憶の奥底に封印してしまったんだろうか。

私は小学生の頃から勉強が好きではなく、暇さえあれは漫画や絵を描いているちょっと変わり者の女子だった。
当然、成績は悪かったと思う。
何故か、国語と美術だけは良かったが。「好きこそ物の上手なれ」を地でいく女。

そんな私の進路指導。先生は嫌なことしか言わないだろうな…と覚悟していた。
しかし帰宅した母は、担任と何の話をしたのかを一切言わなかった。怒られると思ってたから、私も聞かなかった。

その後、私は同じ中学の女子がほぼほぼ行く公立高校へ無事に合格し、無難な道へと進めることとなる。

とはいえ、試験は数学と英語が全然分からなくて。周りのカツカツいう鉛筆の音を聞きながら、なかなかな冷や汗をかいたのだが。

その3年後。今度は高校3年の進路だ。
当時憧れていた夢に近づきたくて、美術短大への受験を決めた私を見て、母は中3のときの進路指導のことを思い出したようだ。

母は当時の担任に、
「娘は、将来は漫画家になると言っています。」
「漫画家なら、家を出なくても机と紙とペンがあればできるし、郵便局から原稿を送るだけでいいって、本人が言っていました。」
「確かに、うちから郵便局は近いから便利なんです。」
と、話したと、明るく言った。

……耳を疑いますよね。

え?そんな夢みてんじゃねぇぞ的な小娘の戯言を、担任に言っちゃったの??
先生、あのほっそい目を見開いて言葉失ってなかった???って、思いますよね?

あたしは思いましたよ。
母に対して
「ちょっ…おまっ…」
って思いましたよ。でも確かに、母にそんな話をした記憶がある。

あるんだから仕方ない。自分で戯言を言ったのは事実なんだから。
過去の自分におバカと言いたい。世の中なめてんじゃねぇぞと。

しかし、母は
「それなら大人になっても、ずっと一緒に住んでられるねぇ♪」
と思った、と言った。単純に、嫌味でもなく。

思えば母は、当時から勉強もせずにダラダラと絵を描く私を咎めるようなことをしなかった。
夢に向かってひたむきにやっとるなぁとでも思っていたのだろうか。キングオブポジティブ。
娘への肯定感、パねぇ。

さて現在、私は奇跡的に絵を描く仕事をしている。
思うように描けなくて苦しい事もあるし、私より格段に上手な天才はごまんといるし、そんな状況だから大して稼げない。何度も辞めようとした。

それでも、私が今でも続けていられるのは、母がずっと私の好きなことをそのまま受け入れてくれて、否定をしなかったからかもしれない。
今でも私は絵を描く事は大好きなのだ。

私も親となった。
もし、子ども達が私のように「絵の仕事に就きたい」と言い出したとしたら。母のように黙って応援できる自信はない。
むしろ、全力で反対してしまいそうだよ。だって、それなりに大変だもん。

月島雫の父ちゃんだって言ってたでしょ?「人と違った生き方はそれなりにしんどい」ってさ。
そんな現実は、夢を目指す子どもは知らなくていい事なのかもしれないけどさ。

母は偉大だ。この頃、本当にそう思う。

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