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最終回を観ずに過ごす。

HDDの録画リストを過去に遡ると
ドラマの最終回だけが残っている。
最初は『あーゆっくりじっくり落ち着いて観たいからおいておいたんだった』と思っていた。

しかし、それがこんなにも大量になってくると
どうやら避けているのではないか…と
私の中で疑いも生まれてきた。

「3年A組」
「大恋愛」
「妖怪シェアハウス」
「龍の道」
「真夏の少年」
「私達はどうかしている」
韓国ドラマ「優雅な一族」
韓国ドラマ「トッケビ」
韓国ドラマ「梨泰院クラス」
韓国ドラマ「彼女の私生活」
中国ドラマ「大唐見聞録」
中国ドラマ「女医明妃伝」…… などなど。

だいたいは最終回の前まではきちんと観ている。
最終回とその一つ前で止まっている作品もある。

リアルタイムで観なかったから
観るタイミングがなくなった
とも考えられるが
多分、それは些細な事で
ここまで作品が溜まる理由ではない。

なんとなく朧げに分かっているこの原因を
どこまで表現して表す事が出来るか
挑戦しようと思う。


【原因その1】
最終回を観て単純に終わってしまうのが嫌。

毎週や毎日、楽しみに観ていた作品が
終わりを迎えてしまう事がただただ寂しい。

子どものようだが…多分そうなのだろう。


私は何事にも終わりというものを迎えるのが苦手だ。
それが娯楽の範囲にも影響を及ぼしている。

終わりではないが
長年応援させて頂いている嵐さんが
活動休止になり、来年から5人でいないなんて
生きていけるのだろうかとふと思う事もある。

冷蔵庫の中の最後の一つは自分では取りたくない。
だってなくなってしまうからだ。

存在そのものがなくなる事が嫌だと思うのかもしれない。

書きながらなんとなく自分が恥ずかしくなりつつあるが
この際だから続けよう。


【原因その2】
ドラマの世界が好きで最終回を観てしまうと
その世界がこの世から消えてしまう。

もちろん、フィクションなので
何処にも存在していないのだが
私には存在していると認識されているようで
その世界がなくなって欲しくない。

3年A組は一颯がどうなったか分からないからきっと生き続けていてくれるし

大恋愛は、病気は進行しても二人は幸せに息子さんとこの世の中の何処かで過ごしていると思いたい。

竜の道は二人の仲が怪しくなりつつあったから、それが酷くならず今も復讐のチャンスを狙っていると思いたい。

そんな自分が心の中にいる事に気付いてしまった。

好きな作品ほど終わって欲しくなくて、その世界に浸り続ける為の措置なのか。

観ていて心を穏やかにしてくれる作品はその穏やかさを与え続けて欲しいし
あー嫌な予感がするという作品はそんな結末にならないでと避けている。

作品が終わらないで生き続けて欲しい
これが大きな理由だと現時点では予想する。

もちろん疑問も生まれる。

大好きな作品でも最終回までサラッと観る事もあるし
この人死なないでって人が亡くなりそうでも手に汗握りながらも完走する時もある。

その違いは分からないが
その時の私の体調や心の状態もあるだろう。

あったかいお話を観たい時。
スリリングなお話が観たい時。
涙が出るような作品が観たい時。
頭を働かせるような作品が観たい時。
気分がスッキリするような爽やかな作品が観たい時。


こう書き連ねるとやはり『半沢直樹』の凄さを感じる。
あたたかいお話もあり、スリリングな展開はもちろん、黒幕探しに頭を働かせて
最後は敵を倒してくれた爽快感を味合わせてくれる。

あれだけ話題になるのは必然だ。


最近のドラマでは「MIU」は終わって欲しくない作品だったのに
私はちゃんと最後まで見届けた。

その理由はどこかのネットニュースに書いてあってなるほどと思った。

「志摩と伊吹は今も何処かで機動捜査隊として活躍している」と自然に思う、と。

彼らはドラマの中の登場人物ではなく
同じ空の下に存在していると
観ている人の心の中に存在させた。

確かにそうかもしれない。
だから私は最終回を楽しんで観られたのだと納得した。

最終回は寂しいけれど必ず新たな作品が始まってくれる。

そして又色んな出会いが生まれる。

終わる事=悲しい事
というカチコチの古臭い考えを取っ払いたい。

それに最近学んだはずだ。

終わったとしても想いは終わらない事を。

作品がある限り想いはなくならないと。

終わった作品も愛していい。




もっと精神的に大人になりたいと思った。


[追伸]
今日はリアルタイムで観る。
三浦春馬さんを目に焼き付けたい。


仮にサポートを頂けましたら大変貴重ですので大事に宝箱にしまいます。そして宝箱を見て自分頑張ってるねと褒めてあげます(〃ω〃) ♪