ゼネラリストとして生きる、または私は研究ポートフォリを書いて自分のコンプレックスといかに向き合ったか

前記事でちらっと予告したのだけど、研究ポートフォリオを書いて公開しました。

 (↑について、初出原稿から、学歴の卒業、修了、単位取得退学の記述がなかったところを明記する修正を実施しました。)

ポートフォリオそのものを書いたのは4月中旬だったのだけど、これを書くのにも時間がかかったし、書いてからこのように公開するまでにもずいぶん時間がかかった。なぜか。それは「博士の異常な愛情」を下手にもじったこの記事のタイトルが示すように、ポートフォリオの中身が自分のコンプレックスを突くからである。

研究ポートフォリオ、あるいは研究実績というのは、もっと淡々と書くものなのかもしれない。しかし私はこの資料を書きながら、そして書き終わってからも(そして今も)とても悩んだ。
ちっちゃい字で書いてある資料を一読して貰えればわかるかと思うけれど、私は一応、研究者の端くれとして通信業界に在籍させてもらっているのだけれど、経緯の面からも成果の面からも、とても優秀な研究者とは言えない。資料を書きながらそれを噛み締めなければならなかったし、それをカミングアウトすることにも躊躇があった。
しかし過ごしてきた過去は変えられないし、過ごしてきた各過程においては私なりに力を尽くしてきたし、その時その時に幸運な出会いや周囲の方々の協力があってこれまでやってこれたのは紛れもなく事実であるからそのことにとても感謝しているし、それを伝えたいし、そもそもやったことを知ってもらいたいとも思うし、それに人生においてどんなことでもそれが前向き/いいきっかけに転化するかもしれないと(確信的に)思うので、勇気を出して(?)公開することにした。

それは、このnoteをはじめたときの思いにも通底するものでもある。一つの答えは危機感なのだ。自信がないから、あるいは自信がある内容になるまでは答えを出さない、しかしそれでは自分の性格上、いつまでも何も出せなくなってしまう。それは何もやっていないことと同じである。それは転換していかなければ、と言う危機感である。閑話休題。

そういうわけで資料に書いたのだけど、私は研究テーマをいろいろホッピングしてきている。そしてその一つ一つについて、しっかりした成果を残すことができなかったという自責の念がある。しかし、一応理性ある人間としてその経過を自分なりに客観的に分析した結果として、「スペシャリストではなくゼネラリストとして生きよう」という見地にたどり着いた(着いたことにしている、今のところ)。

研究者というものをある専門領域におけるスペシャリストであると考えると、研究者を標榜しながらスペシャリストを諦めゼネラリストとして生きるという選択肢は、矛盾・葛藤を孕むものであって、実はまだ心の底から納得できる状態には達していない。いわゆる「すごい研究者」である/なることを諦められたわけではないのだ。また、おそらく、ゼネラリストというのはスペシャリストに対して劣るようなものではなくスペシャルなゼネラリスト(笑)というものは十分に立派な存在であると思うのだけど、自分がそう成れているかと言うと全然そのようには思えないという意味でも、忸怩たる思いがある。

のだけれど。まだ終わったわけではない。これから、できるだけのことをやっていくしか無いのだ。そして幸いなことに、評価は自分で下せるのだ。むしろ自分で下すしか無いのだ。だから、これからも自分を奮い立たせて頑張っていきたいと思う。
そして、これは本当に恵まれていることだけれども、私が今在籍しているさくらインターネット研究所は、そのような者を認め、助け、成果の創出を後押ししてくれる環境にある。これに感謝しながら、自助・共助の精神を発揮していきたい。

コンプレックス、躊躇、危機感、自責、矛盾、葛藤、忸怩。ネガティブワードだらけだ。実際のところ、私の自己認識はかなりネガティブである。それをはっきり認識している。でもそれは日々辛いので、明るく転換していきたいのだ。このノートではネガティブなところは極力出さないようにしている。それを出してもいいことはないとわかっているからだ。しかしポートフォリオを書く/出すとなるとそれから目を背けられてはいられない。だから再びの決意表明という意味も込めて書いた。このようなエントリーになってしまったことを許してほしい。


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