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御所の武官、鞠を蹴る。(抜粋7)

                     ( geralt 様 画像提供 )

近畿・四国・中国・東海、台風被害を受けた方々に心より
御見舞い申し上げます。過去の気象データが役に立たない
ような天変地異の猛威に、ただ驚かされるばかりです。

一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。

さて、夢幻小説『音庭に咲く蝉々』を抜粋し連続ドラマ風に
お届けしています。主人公ケイ(時原敬一)の演奏が続く中、
いよいよ運命的な輪廻の影が出現します。


gfordyce2255 様 画像提供

 ケイのアルペジオが長く歪んだ和音に切り替わった。
 それは寺の鐘に似ていた。
 水辺の寺。孤独な僧侶が狂ったように鐘を突きまくる。鐘が突き飛ばされて、崖から転がり落ち、波の愛撫を受ける。夢の方舟が港を離れていくのを感じる。意識の小船が波に飲まれ、黒い海底に沈んでいく。流れの速い黒い潮。精神に麻酔がかかる。血が逆流して、肺から蒸発し、打ち上げ花火に変わる。
 投網をうったように歪んだ和音が広がると、群衆は激しく燃え盛り、夏虫のように暴れ出した。黒い闇に舞う黒蝶の群れ。神でさえ彼らを鎮めることなど不可能だった。拳を振り上げた信者たちは、痙攣したまま脳髄の内に鳴り響く官能の調べに酔いしれていた。
  
 
   蕾ガ割レテ花ガ咲ク
   蛹ガ裂ケテ蝶ガ舞ウ
   火山ガ切レテ熱ヲ吐ク
   洞窟ノ奥デ絵ヲ描ク君ハ
   羊水ノ中デ夢見ル胎児
   外ヘ出ロ!
   外ヘ出ロ!
   肉ノ仮面ノ外側ノ大気ヘ
  
 
 天と地、太陽と月、男根と子宮、塩と糖、昼と夜、海と空、あらゆるものの境界が溶けて、黒く深い川になる。黒い川の底には、まだ名付けられていない獣が泳いでいる。
  そして、ついにケイのギターソロが始まった。
  
 煌々と輝く月形のスポットライトがケイの全身を檸檬色に染め上げる。すでに無上ヨーガタントラと化したケイの弦音は極彩色の楽園を生んでいた。テルミンに似たふわふわした音色は、過去の音楽理論によって固定化された音階を少しずつ溶かしていく。
 
 ケイはギター一本で何でも表現できる。
 たとえば、人間の心理・・・・・。悲嘆、郷愁、追憶、後悔、苦渋、希望、恋慕、歓喜、悦楽、放心、猜疑、焦燥、忿怒、破綻、憐憫、憧憬、達観、慈愛・・・・。
 扉が開く音、枯れ木が燃える音、遠い雷鳴、風の音、雨の音、波の音、小川のせせらぎ、鳥の囀り、虫の鳴き声、動物の咆哮、群集の熱気、天変地異、梵鐘の響き………………。
 
 いよいよ夢幻の観念が物質化していくのが判る。
 
 闇を濡らす神酒の雨。はじかれて葉面を転がる水の球が、次々と空中に飛び散り、白い蝶に生まれ変わる。白い蝶がふわふわ漂い流れて、群衆の耳に卵を産むと、人類の歴史が再演される。ひび割れた頭蓋骨から羽化した象形文字が魚のように跳ねて、黒い闇に踊っている。まだ法律や宗教に成りきっていない無意識の言語が、音楽と融合して陶酔の舞いを持続する。
 
 

 
 不意にケイの奏法が変わった。ハーモニクス奏法・・・・・・。
 フレットの指板を押さえず、弦の定点に左指を軽く乗せ、右手でピッキングし、即座に左指を離す。ポーン、ポーン、という時報のような響きが無数の音粒となって、場内を浮遊する。
 音粒は時空を超えて変容し、あたかも平安時代の御所の庭で行われた蹴鞠のごとく、雅に宙を舞う。鞠は決して地に落ちることなく、永久に宙を舞い続ける。その神業を成し遂げているのは、まだ若き烏帽子の武官。京の御所に関わる人物なのだろうか?それらしき人物の面影を偲ばせる………………。
  
 見える。はっきりと見える。鞠を蹴る人物像が………………!
 さきほどまで朧げなイメージに過ぎなかった幻影が、鮮明な具象性を帯びて容姿を整えつつある。平安時代の武官正装をまとった人物・・・・、彼が北面の武士・佐藤義清・・・・・、すなわち若き日の西行であることは容易に推察された。佐藤義清………………、歴史上の著名人が、今、巧みな足捌きで典雅な鞠を蹴り続けている。
 そのリズム感はケイの演奏にぴったりと符合し、一切の矛盾もなく、至高の芸術を醸していた。
  
 妙に眩しい・・・・・・。
 何だろう、あの煌めきは・・・・・・。
 鏡面?
 
 異変に気づいたのは、僕独りだったのだろうか。
 ステージから何気なく客席の後方へ視線を振ったとき、体育館の壁に浮かび上がる蜃気楼のような光面が見えた。

                         つづく

🌟『音庭に咲く蝉々』 菊地夏林人

 


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