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西行と以仁王、東北で会う(抜粋10)

                    ( UniBay 様 画像提供 )

皆様、お元気でしょうか?
世間の動向を見ると、原発処理水放出に伴う風評や
インボイス制度導入をめぐる論議など、いろいろと
喧しい昨今ではありますが、せめて個人の心象では
自由に暮したいように思います。

さて、早いもので、夢幻小説『音庭に咲く蝉々』の
断片紹介も今回で第10回目を迎えました。

時は流れ、社会人になった主人公フジ(藤沢)は親友の天才ギタリスト
ケイ(時原敬一)の失踪に翻弄されながら、釈然としない日々を送ります。
そして或る日、学生時代によく通った公園でぼんやりと昔の出来事を回想
します。そのとき、またしても時空が変容を起こし、異空間へ………………。


画像 夏林人 撮影

 鏡面に見えたのは、公園の水溜まりだった。
 骨のない水母のようにベンチから転げ落ちそうになって目が覚め、しばらく朦朧としていたが、再び夢の中に落ちて甘い泥に沈んだ。同じような夢を見て、同じように覚醒した。それを何度も繰り返した。地球の自転が速く感じられる。西の彼方に沈んだはずの太陽が、回り込んで東から昇り、数分後に西の彼方に沈んでいく。夜は短く、瞬く間に黎明を迎える。桜の季節にもかかわらず、沛然と耳を洗うような蝉時雨が聞こえてきた。
 
 
 めくるめく春の夢から覚めたとき、小雨が降り出した。
 小雨に叩かれた土は懐かしい香りを放った。無意識に雨の線を眼で追い続けると、その線が弦に見えて来る。弦楽器の弦が生い茂る樹海に見えてくる。まっすぐに張りつめた無数の弦が、偶然通り過ぎた風や小鳥に奏でられて、澄んだ余韻を残す。余韻に余韻が重なり、音の花が咲く。弦の林の向こうから誰かがやってくる気配・・・。夕映え太郎? 
 いや、ずいぶん印象が異なって見えた。
 その人は夕映え太郎ではなかった。迷宮的時空回廊を抜け出たと見え、少しずつ人物像が鮮明になってきた。そして僕は再び謎に包まれることになった。侍烏帽子をかぶり武官袍をまとった・・・・、あたかも平安御所を警護する官人のごとき姿の人物が颯爽と近づいてきた。
 
 やってきたのは・・・・、鳥羽院北面の武士・・・・、ケイだった。 
 侍烏帽子をかぶり武官袍をまとった若い男が歩み寄ってくる。
 
 
 ★  春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり  
 
 
 若き日の西行・・・、佐藤義清とケイは完全に一致していた。ゆがんだ時空の中においても整合性が保たれ、その輪郭はわずかなブレも許さず同期していた。輪廻の法に従い、惜しくもあと一歩、解脱に至らなかった狂おしい魂が阿頼耶識の種子となり、そこから異なる時代の人物を同時に立体化させていた。
 突如、疾風が公園内を駆けぬけた。
 茂った枝が大きく揺らぎ、桜吹雪が舞った。神々が仕掛けた紙吹雪のごとく、夥しい数の花弁が視界を幻惑し、刹那、事象の輪郭を包み隠した。それはまさに桜吹雪の擾乱だった。正常な眼球の機能は麻痺し、桜の小宇宙に翻弄された。桜色のオーロラが急速に敷衍してく。

 桜色に染め上げられた空間が静止している。空間そのものが立体の鏡面と化し、一切の日常を凍結させたまま次の次元へ進もうとしていた。この異様な緊迫感は、高校時代の文化祭で僕自身が体感した時空変容の兆候と同じものだった。
 時が座礁している・・・・・。この世の全物質は原子によって構成されているが、原子は陽子を内包し、陽子は素粒子を内包する。素粒子には秘められた微小な弦が張られ、その振動によって世界の諸反応は成立する。今まさに、その秘められた弦がかき鳴らされようとしていた。
 立体時空がきれいに二分割され、それらは真正面から対峙していた。喩えて言えば、巨大な合わせ鏡にも似ていた。時空の緊張に限界が近づくと、弦が鳴り、結界は破れ、鏡面と鏡面の境界に桜色の火花が散った。無音の銅鑼。天鵞絨の時空幕。奇妙な波動を感じる。メビウスの輪が切れる気配。
 
 向かい合った鏡の奥の奥の奥の・・・・・、その奥から、誰かが歩いてくる。その人は、晩年の西行だった。
 


PixxlTeufel 様 画像提供

 
 ケイの若々しい姿は、桜吹雪の幻術を受けて変成し、晩年の西行の姿に変わっていた。出家遁世、剃髪し、墨染の僧衣をまとった西行法師が、今、懐から懐紙を取り出して毛筆を滑らせている。その筆先には、たしかに天道を守護する神々の憑依が感じられた。
 
 
 ★  散る花を 惜しむ心や とどまりて また来ん春の たねになるべき  
 
 
 和歌を詠む西行の背後に、もうひとり別な人影が歩み寄って来た。
 その人物もまた西行と同じ道、すなわち合わせ鏡の奥の秘められた時空から歩み寄って来た。
 平安時代の皇族にのみ着用を許された雅な御袍をまとい、尊大な足取りで西行の傍らに立ち、彼は静かに語りかけた。後白河法皇の第三皇子、高倉宮以仁王だった。

「運命とは不思議なものよ。平清盛も西行殿もかつては同じ鳥羽院・北面の武士。一方は、剛腕によって覇道を猛進し、一方は剃髪し和歌を詠む漂泊僧となった………………」
「皇子の瞳には清盛が謀反の逆賊として映るのでしょうが、わたくしにとりましては懐かしい旧友でございます」懐紙を片手に筆の動きを止めたまま、西行は淡々と答えた。
「旧友か・・・・、それもわかる。若き日の想い出も湧いてくるであろう。しかし、平家一門はこの度の戦乱で東大寺を破壊したと聞くが」以仁王は毅然とした態度を崩さない。
「はい。誠に悲しい出来事であります。損壊・焼失を蒙った東大寺の復興を果たすべく、重源上人の依頼を受け、こうして奥州の旅に出たという次第でございます。この乱世において、資金調達の相談ができる相手といえば奥州藤原氏以外にはありえないのです」西行は窮状を訴えた。
 
「ところで、神白猿の行方は?」以仁王の横顔に焦燥の翳がさす。
「平家襲来の直前、東大寺・重源上人が安全な場所へ移したと聞いております。おそらく旅歩きに慣れた高野聖に守られていると思われます」西行はどこか遠くを見つめて言った。
 
「もしや・・・、旅の途中で鎌倉に立ち寄ったのでは?」以仁王は浮かんだ空想をそのまま語った。
「畏れいります。やはり皇子には嘘をつくことなどできませぬ。たしかに鎌倉へ立ち寄り、頼朝殿にお会いする機会を得ました。何か特別な話をしたわけではなく、ほとんど流鏑馬や蹴鞠など武芸の話で盛り上がったに過ぎません。東大寺復興の件については、協力したいとの御意向を聞くことができました。帰り際、土産にと銀製の猫をいただいたのですが、外へ出たあと、界隈で遊んでいる童子に与えてしまいました」
「何と、頼朝の銀猫を無名の童子が譲り受けたのか」さすがの以仁王もやや驚きを見せた。
「銀猫ひとつで東大寺が修復されるとは考えられません」
西行と以仁王は同時に破顔し、くすくすと笑い声を洩らした。
「今後、仮に鎌倉を拠点とした新政権の樹立もあり得るのだが、問題なのはそれが安定的に持続するか否か・・・・、盤石の基盤を築くのは容易では無かろう」以仁王の声音が低く曇った。
「世は無常、生々流転、すべてが移り変わってゆくものです。朝廷も昔の姿とは異なり、平家も変わり果て、源氏はいかなるものか。未来心不可得とは、弘法大師・空海の教えです」西行は天を仰いだ。
「たしかに未来を心配したところで、何がどうなるということもない。なるようにしかならない。さすがは西行法師」
 


画像 夏林人 撮影


 
 ★ 仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば 
 
 小雨は風を伴って、横殴りに吹きつけてきた。逆巻く風圧に堪えきれず、いよいよ満開の桜は散りはじめた。ひらひら震えながら落ちていく花びらは、異国の幻蝶を思わせた。数え切れない幻蝶が、吹雪きとなって舞い散ったとき、一瞬、雲の切れ目を破って、鋭い光が差し込んできた。この季節には珍しい強烈な夕陽が、風に揺れる満開の桜を真横から照らしていた。その光が、舞い散る桜花の一枚一枚を虹色に染め上げていた。
 よく観ると、花弁に覆輪が見える。いにしえの日本文化で重視された意匠・・・・、馬の鞍、刀の鍔、天目茶碗などの周縁を縁取る美しい意匠。その覆輪が桜の花弁にも縁取られて見えた。光の作用によって、周縁の色が変容していく。紫覆輪、青覆輪、緑覆輪、黄覆輪、赤覆輪、金覆輪、銀覆輪。
 シャボン玉の膜に浮かぶ七色のプリズムにも似た、鮮やかな光の反射が花びらの背に小さな虹をつくる。それは神々の手でバラバラに砕かれた虹の亡骸にも見えた。
 
 相馬の海岸でケイの亡骸を発見した子供たち・・・。
 彼らが見た光景とは、これだったのかも知れない。
 強い風が吹き荒れた。見えない龍が暴れ出した。いまだかつて耳にしたことがない、あの世の風景を連想させる奇妙な音楽が流れてきた。虹の片鱗が大量に舞い上がり、恐ろしい渦を巻いた。虹に梳られた樹林の陰で、浮遊しながら奇雨を凌ぐケイの亡霊が見えた。しかし、次の一瞬、そこに滝のような飛沫を上げて虹色の桜吹雪が降り注いだ。天鵞絨の時空幕に視界が遮られる。
 
「ケイ!」僕は彼の名を呼んだ。
 
 彼は何も答えなかった。
  
 虹の破片に弔われたケイは、樹林の奥へ静かに消えていった。湿り気を帯びた暗い土に、虹色の花びらが敷きつめられていた。まるで雲海の上に樹林が生えているかのようだった。
 それは麗しい掛軸を彷彿とさせる光景だった。以仁王も西行も佐藤義清もケイも、皆が消え去ったあと、樹々の小枝には蜂蜜色の甘露が数珠のように連なり、神々しく光り輝いているのが見えた。斜光が跡切れ、夕陽が西の地平線に沈むと、虹の片鱗も消えた。
 散った桜花もくすんだ肉色に褪せていた。人影も絶えて深い静寂に包まれた公園は、見捨てられた墓地のようにさえ感じられた。

                     ( つづく )


🌟『音庭に咲く蝉々』菊地夏林人


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