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続59番目のプロポーズ2nd Season

 読みました。詳しく知りたかった「プロポーズ話」のところが読めました。今回も面白かったです。

 感想を書いた日付を見ると前作を読んだのは1ヶ月前くらいですね。

 前回同様だんだんアルさん(と呼ばせてもらう…)が変わっていくところも面白いんだけど、個人的には最後の「59番&アルテイシア対談」を読むと、2人(特に59番さん)を含む作品全体の印象がガラリと変わってしまったことが1番面白かったです。

 この作品の著者はあくまでアルさんなので、アルさんの目線から見た物語が語られています。当たり前ですが。そのことはわかっていたつもりだったんだけど、「アルさんの口から語られる59番さん像と「59番さん自身が語る59番さん像」に違いがあるということを、対談を読むまで忘れていた自分を知りました。

 それどころか考えてみれば「アルさんの口から語られる59番さん像」ですら「アルさんから見た59番さん像」とも違うのではないか、と。

 アルさんが2人の生活の中で起こったエピソードから「紹介しやすい印象的なそれら」をいくつか抜粋して書くとき、私は「書かれたこと」は知れても「書かれていないこと」を知らない。想像はするけど、実際のところはわからない。

 三人称視点で書かれる小説のように「そのとき彼女はこう思った」「そして彼はこう感じた」という書き方はされていないので(というかできるはずがないですよね。そのとき何を思い、感じたのかは誰にもわからないから)、作中に書かれていることは「アルさんが見た59番さん」のうち「紹介しようと思った59番さん」であり、「その姿を見た私が感じた59番さん」ということになるわけです。

 その視点を忘れていたなぁ、と反省しました。

 もちろんそれは「誰か」が「誰か」について書くとき、当然起こることです。それ自体はおかしいことではないし、ましてや悪いことではありません。そうですよね?

 だって「私から見たこの人」は、私というひとつの視点からの紹介であって、それが「正しい」とか「間違っている」とかって話をしているわけではないからです。あくまでその対象者が「この人は私をこう見ているんだ」ということを知れる機会である、と。「他己紹介」なんてそれを知り合うためにするものだと思いますから。

 問題は読み手あるいは受け手が「そのことをわかっているかどうか」だと思います。

 つまり「アルさんが語る59番さんは全部本物だ」と思わないこと。それは彼女から見た「事実の一片」としてそこに書かれているだけで、本当はそのとき59番さんがどんな気持ちでいたのかは誰にも(もしかしたら59番さん自身にも)わからないということ。彼女が語った通りのことを彼は考えているなんて安直に考えて省エネしないこと。

 そんな当たり前のことを忘れていたなんて・・・と反省しました。

 「なんでも鵜呑みにせずにまず疑え」とは思いませんが、いくら好きな作家だからって、その人はなんでもわかる超能力者ではありません。というか現在のアルさんでさえ、59番さんのとる行動を「わからない・・・」と書いています。当たり前ですよね、他人のことを全部理解することなんてできない…と思う。

 だから私が抱く「アルさんと59番さん」のイメージは、幾重にも重なったフィルターを通して感じているものなんだ、と思ったわけです。

 前作で熱くなって書いた感想を今読むのも恥ずかしいので読みませんが、そういう視点で改めて読むとまた違った感想を抱くかもしれません。

 そして今回は「続」ということで2人の「過去」についても触れられます。

 「出会う前の2人」になった経緯、と言いますか、出会う前の2人がそれぞれに歩いてきたそれぞれの軌跡と言いますか。

 読み手にもよるんだろうし、感想の正解なんてありませんが

 はっきり言ってきつかったです、私にとっては。

 現在のアルさんが書いているような「きついことについて書かれているのに笑ってしまう」みたいなことがあんまりなく(法改正が追いついていないなんて腹を抱えて笑ってしまったというのに)、ど真ん中直球、混じりっけなしのきつさで書かれているので、読んでいる最中ずっと、生の心臓をゴツゴツした素手でつかまれているような(そんな経験はないけどなんとなく…)苦しさがありました。

 アルさんが当時どんな気持ちで書いていたのかはわかりませんが、もしも私だったらフラッシュバックするトラウマに精神をゴリゴリと削られながら書いていたと思います。「辛い、でも書くしかない」みたいな。

 でも、「過去にあったきついことを人に説明することってもっときつい」と私は思っているから、「これは絶対読み飛ばさずに読むぞ」と踏ん張って読みました。

「何がどうきつかったのか」を、そのことを全然知らない第三者にわかってもらうためには、その「きつかったこと」を「改めて見て(この時点でもうきつい)」それを「相手にわかる形に変換、あるいは噛み砕いて説明」しないといけないからです。

「とにかくきつかったんだよ!」ではうまく伝わらないから。

 それってめちゃくちゃきついことだよな…と。

 私も今だにあんまりうまくできないことです。

 2人はそういうきついことをそれぞれの形で経験して、それぞれの方法でそれと戦って、とにかく生きていたから出会えたんだなと思いました。

 しかし「大変なこともあったけど、2人は出会い、無事に結ばれました。めでたしめでたし」で終わらないですよね。なぜなら2人が生きているのは私たちと同じ「現実」だから。

 だからこそ「プロポーズ」のところを私は何度も読み返してしまうわけです。手に汗握って一気読みしてしまったぞ。

 まだ読んだことがないという方、前作と合わせてこの機会に1度(と言わず何回も…)読まれてみてはどうでしょう。もちろん笑えるところはしっかり笑えます。そしてたまに胸がぎゅっとします。だからたぶん自宅で読むのがいいと思います。

 私としては(しんどいこといっぱいあるけど)ようし、やったるぞ!」という気持ちになれる本でした。

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