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kirainajikosekininron

何かで話したような気がする自己責任論。僕はこの言葉が嫌いで、「何事も自分の責任、変えられるのは自分だけだから。」と言い何事も自分でどうにかしようとする考えには嫌気がする。

確かに結果には自分の行動はそれなりに影響して、努力ももう少し必要だったような状況には反省すべきだろう。ただ物事は自分の努力ぐらいでどうにかできる事の方が少なく、他人の行動と雰囲気、そしてその時の運も大きく影響する。運は予想もできずどうしようもないけれど、他人の行動も他人の責任でありこちらからはどうしようもない。それでさえも自分の行為で変えられようと思うのなら気持ちが悪いし、他人の責任は他人モノなので放っておいていい。

干渉はせず、どうにかできるとも思わない。人一人の行動は大した事でなく、できるかどうかで考える事なく、とりあえずやっていく、継続していくという姿勢が必要なんだろうと思う。他人はもちろん変えられないし、世間の雰囲気なんてもっての他、ただ今自分ができることを行い、明日へと繋げることを繰り返すことが生きていると感じることができる。

自己責任論の自分ならできるという驕りは必要ない。やるかやらないかだけの話に格好つける必要もない。他人の行動さえも背負っていたら気持ちも体もすぐに重たくなってしまって何もできなくなる。自分とそれ以外と区別さえしていればいい。

人生を変えたいと思ってしまった時はどうしたら良いか。これについても変えられるとが思わない方がいいということになる。人それぞれの環境と才能と運と生きてきた時間に形作られた人生が数年の自分だけの努力で変えられるだろうか。おそらく難しい。変えらたとしてもおそらく思わぬ幸運が絡んでいる。その幸運は今までの自分の行動から起因していると思うのだろうか。複雑な影響の中で自分の努力でどうにかできているのなら超能力でも使っているようにしか思えない。

変えられると思うから変えられるという言霊についての考え方については好きだし、自分を奮起させようとすることは悪いことでない。ただ勘違いをしやすい。奮起させるためだけの言葉だったはずがいつからか自分はできる人間なんだと勘違いし始め、現実と冴えない自分との差に落胆するようになる。結果は当然で、ただ短期間の奮起させただけの自分に大したことはできるはずもないのだが。

とりあえず考え方とかどうでも良いからやることだ。苦しくも楽しくてもやり続けることが生きることでそれ以外に方法も無い。近道なんて、そもそも生まれ持ったものがなければ存在するはずがない。だから自分ができることだけに没頭して、行い続けることが道になる。

まず行動から、そして、まず自分のことだけを考えることが重要になる。なんとか論は無視をして、自分で自分で可能なことを自分の責任で考え行う事の他に僕には言い方法は思いつかない。

だから自己責任論は嫌いだ。そもそもなんとか論全てあまり好きでない。論はあくまで考えたその人のものでその人だから行えることだ。まずは自分で自分の方法を試行することは何よりも先決になる。

精進します。