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今日もわたしは、大嫌いな自分のために書く。

ずっと自分の平凡さが嫌いだった。

8割くらいのことは、普通かそれより少し上くらいの成果が出せた。
成績もそこそこ良かったし、運動も得意な方だった。
それなりに偏差値の高い高校に通って、それなりに名の知れた大学に入った。

でもそれだけだ。
秀でているものがあるわけではない。
オールマイティーというと響きはカッコいいかもしれないが、これは他人に勝るところがない、つまりは「何においても平凡」という評価でしかない。

『何をやっても、普通かそれ以上の成果を出せる。』
この平凡さは、「何かを突き詰めることの面白さ」を教えてくれなかった。
何かにのめり込むこと。何かを継続すること。その苦しさも楽しさも、何も知らずにここまで生きてきた。

もちろん好きなことはある。
音楽はずっと好きだし、書くことだって好きだ。
でも、だからといって、寝食を忘れるほど没頭したことはない。

「何かを突き詰めることの面白さ」を知らずに生きてきたという事実は、わたしの人生の汚点だと思ってきた。
そしてそれを生み出した平凡さを、ずっと恨みながら生きてきた。

多分この気持ちが消えることはないし、ずっと消せないんだと思う。時々思い出して、苦しんで、心の奥に押し込んで、そしてまた思い出すんだ。
でもこの気持ちがあるから、わたしはいまも書き続けている。
何かを書くことが、平凡からの脱却に繋がるような気がするから。
「ライターとしての自分」を生かしているのは、「平凡さへの恨み」だ。

だから今日も明日もその先も、わたしは書き続ける。
恨み続けている自分と、恨まれ続けている自分。そのどちらも、自分自身の手で救える日がくることを願って。

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