見出し画像

「いいもの」の範囲が狭すぎる世の中でユニバーサルは自分の中の広がり次第、笑って許して

だいごろうが下痢をしている、本人はケロッとしていて通常営業すよ!と頼もしくも鈍感なのかもしれないと気になるし脱水症状にならないよう水分をこまめに摂る。

ハイハイで机の周りをぐるぐる回る、行かれないと声を出して「行きたいのに!」と言っているみたいに泣く、気になるものは全て手に取りたいし舐めてみたい、遮る大人の手や腕、足や身体を乗り越えてでも行ってみたい!という気持ちが見える。

本人が怪我をしそうな物や雑に扱われると傷になる物、思い出があり壊されると私が傷付く物など色々置いているわけで、いちいち大人の判断を通さなくてはいけない物が沢山ある。赤子と一緒にいる人は触っても大丈夫な範囲や出来る範囲をその時その時で決めなくてはならない、そのうちそうするのが面倒で、そうだ!危険因子や大事なものは最初から置かないようにすれば良くね?と本当はバカのくせに京都に行くかのように閃たりもする。

とはいえ、機会を奪ってしまうぐらいに配置を変えたり見送ったりするのもな〜と綺麗事を思う、昔インドに行った際にはしっかり下痢になりお漏らしだって経験済み(成人以降)だのに今更親となり子が下痢気味だからといって部屋をシンプルライフみたいに簡素化するのもらしくない、どうせならやっぱり楽しんで行きたいし、だいごろうの性格にシンプルライフを提供するのも生きてる実感が足りなすぎる。

ここはあまり触ってほしくないな〜というところに(例えば電源タップ周辺の電化製品のコードなんかがあるところ)、そこの手前に人形を置いて隠したり(勿論差し込みに直接じゃないよ)、重たいコップは奥にしてメラニンの軽いコップを手前にしたりとか、できるだけ退けないでみんな頼んだぞ!というフォーメーションを敷いていく。

こういうのだってユニバーサルデザインになるんでねか?よくわかってないけど最近ではインクルーシブデザインとか誰かと誰かを繋ぐ、使い方などに配慮したデザインもあるらしいし、デザイナーも次のオリジナルとなるべくものを探していることだと思う。そのもののデザインだけじゃなくって価値観というか気持ちの居所みたいなのがユニバーサルじゃん!と…どこが?、確かにユニバーサルってなんじゃ〜に〜、変な名前に感じてきたけど先駆者が付けてくださった訳だしそもそもよく分かってないのでとりあえずユニバーサルのまま行きたい(USJは行った事ない、マリオ行きたい)。

「いいもの」というのが何を意味するのかは本当に難しいことだし、「いいもの」が売れるとも限らないし「いいもの」は共有できないかもしれない。

子供が好きな物だろうとこちらが思っても本人が気に入らないこともある、その気に入らないという感覚さえもその時が全てではなくて、子供だって後から良さを感じることっだってあるだろう。だから何が「いいもの」なのかは本当にわからない、人から見たらくだらないおもちゃだってだいごろうとの思い出があれば特別なものになってしまうし、買う際にはそれはそんな「いいもの」になるなんて思いもしない。

だいごろうがコンビニスプーンの梱包袋を噛みしごいてビニールの破片を喉に詰まらせて吐いた時や、うんちの中からひつじのショーンのステッカーが出てきたりとか、勿論どちらも捨ててしまったけどそれたちが一番のユニバーサルデザインだったのかもしれない、飾っておけばよかった。

特別なものになるのなら最初から自分のケツにぶち込んでみてもいい、飲み込んでケツから出したっていいだろう、でもそれがそうなる運命だなんて思いもしなかった!ということがかなり重要な気がする。要するに最初からこれをケツにぶち込んで、こっちは飲み込んでからケツから出そうと思っているものは「いいもの」にはなり得ない、偶発的になったからこそ「いいもの」になり得て、そんな風に思ってもいなかった物語が物を変えてしまう。

ちょっと何を言ってるかわからないと思うけど、、、。

飲み込んでゲロを吐かせた物や、いつの間にか飲んでいてケツから出てきた物、様々な危険因子から生まれた物語がある。大事に至らなかったから笑ってられるんだ、もしもっと危ない事になってたらどうするんだ!と言われそうだけど「そうだよ」「大事に至らなかったからいいんだよ」、とドヤ顔で思いたい。

ヒヤリハットは大事だけれど事前に考えが足りないことを責めると危険因子を排除するように気持ちにも規制線を張ってしまう(例えばティッシュは引き出し飽きて口にも入れなくなった。時々入れるのでちょっとは覚悟しておけ)。
世の中に張り巡らせた規制線は知らないうちに沢山あって、ボケッと顔で過ごしていると世の中から怒られたりするから困る。こちらもわかってて規制線をかいくぐってきたのにわざわざ規制線ありますよ!って言って来られても…こんなことは言いたかないがこちらが先に進んでいるということに気がつかないか、お前だけ抜けがけすんな!と足を引っ張りたいらしい。おめえのクソ狭いヒヤリハットの範囲を押し付けてくんなと誰かの声が聞こえてきた。
ちょ糸愚痴が入ってしまったけど(糸ほどの愚痴さ)、要するに身近なものは心にもゆとりがとれるフォーメーションで誤魔化していきたい。

適当な親だと思ってくれ、それもまた事実だから仕方がない。例えば寿司屋で醤油をぺろぺろしないように注意するし、レンゲもぺろぺろしたとしても戻さないように注意もする、でもさインフルエンサーでもなんでもいいけど小さい子のしたことの揚げ足とって親の責任とか持ち出して吊し上げとかすんなよな。
世の中って「そんなことさせて怪我しますよ!」とか注意してくる割には晒したり拡散したりして人が転ぶところを見たい奴もいる、厄介な世の中で信じられるのは沢山の経験だけだ、そこから何を感じ取るかはだいごろう次第だけど大切なものを見つけて欲しい。クソの中からでもね。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?