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エッセイ:性善説と性悪説は環境で決まるから、性善説環境に行こう

人を見たら泥棒と思え。

小・中・高と公立の学校に通っていたので、クラスメイトの育ちは動物園のごとく多様化していた。ちびまる子ちゃんのクラスメートたちを見るとよくわかるだろう。たまちゃん、はなわくん、永沢くん、はまじ、ブー太郞などなど。私は1980年代で公立の小学校に通っていたが、70年代の公立の学校と同じようなものだった。

クラスメートたちは「性善説組」と「性悪説組」に分けることができる。たまちゃんやはなわくんは性善説組、永沢くんやはまじ、ブー太郎は性悪説組。性悪説組にも、もちとん性善説的要素があるが、育った環境や貧富などで性悪説になってしまう。

高校生になると、性善説と性悪説のコミュニティ属性が決まる。私立の良い学校に行った人たちは基本的にできた人間が多いので性善説コミュニティになる。公立でも偏差値の高い高校に行けば育ちが良く裕福な家庭に育った割合が増えるので性善説コミュニティになる。

一方、そこそこの偏差値の高校に行った連中はおしなべて性悪説コミュニティ予備軍となる。私も高校はこっちだった。めっちゃ荒れた学校ではないけど、今ではもう絶対に会うことがない人ほど考えや価値観が合わない人たちと3年間を過ごした。

中学・高校の同窓会には一度も参加していない。仮に誘われたとしてもワンチャン行くかもしれないけど、そのコミュニティに関わりたいとは全く思わない。

「成り上がり」という言葉を知ったのは高校時代だっただろうか。矢沢永吉の著書。昨年亡くなった親父と同い年の男は幼少期の強烈な原体験を力に変え、ロックスターに成り上がった。

成り上がっていく上での変化として大きかったのは、性悪説から性善説への環境変化だろう。永ちゃん自身の変化ももちろんだが、自らの軸をぶらすことなく、階段を駆け上がっていった。

10代のわたし。永ちゃんやヒムロック・布袋のロックスピリッツシャワーを毛穴の先まで吸収していたので、音楽生活・印税生活を夢見てバンド活動に勤しんだ。この頃の環境は性悪説だった。掛け持ちしていたアルバイト先も動物園みたいな多様性が存在した。まともだったのは六大学の学生くらい。このときは「大学フィルター」という言葉を知らんかったけど、20年以上経った今はそれなりのポジションに彼らは就いているのだろうと推測する。

人との出会いでしか、環境は変わらない。永ちゃんほどではないが、振り返ってみると私もそれなりに成り上がってきた。成り上がるには人間性と才能が必要だ。努力は当たり前にするから、「努力」と言う言葉は使ってはいけない。

ハッキリ言って平均以下から始まった人生。だけど、好きになったらのめり込める性格は与えてもらった。音楽とテレビののめり込んで、マスコミ・エンタメの世界に入ってから、ようやく性善説環境に潜り込めた。

周辺の環境は大きく変わった。これまで「性善<性悪」だった環境が「性善>性悪」になったのだ。ろくでもない人に会う割合も減った。代わりにろくでもない人のスケールの大きさはデカくなったけど、そのほうがマシだ。

人を見たら泥棒と思え。

と思う人たちばかりの環境に身を置いていると、心が荒んでしまう。


笑顔で心を保ち、会う人にエネルギーを届ける。ただ、いい人じゃだめなんだよ。自分を貫き通すことが大切なんだよね。


ということで、私ももっと成り上がります。見たい景色があるのでね。目指せ、印税生活。





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