見出し画像

【回顧と展望】フリーランス・超生存術 ロールモデルは忘れるが勝ちだし価値だよ。

コルクラボギルドの編集の学校2期で一緒のたばたあいちゃんのnoteを読んで「20代女性×フリーランス×キャリアデザイン」における等身大の気持ちを覗き見した気持ちになった。

私がフリーランス(個人事業主)として活動を始めたのが2006年、27歳の時だった。同世代の女性で個人事業主として働いている女性は殆どいなかった。放送・マスコミ以外の業界を殆ど知らなかったので会っていなかっただけだとは思うが、ホントにパラパラいるくらい。それくらい珍しい存在だった。

当時はツイッターもフェイスブックもなく、SNSで発信と言えばクローズド環境はmixi、オープン環境はlivedoorやgooといったブログサービス。mixiはそれなりにユーザーはいたけど、ブログで自分の考えを発信している人は今よりも全然少なかった。

時が経ち、全国民総メディア化が進み、誰もがパソコン・スマホひとつあれば良くも悪くも情報を気軽に発信できる時代になった。知りたい情報が可視化された一方、知ってしまって損した情報も世の中にあふれ、こびりつく時代になった。

ロールモデルは忘れていくよどこまでも

ロールモデルの話。駆け出し放送作家の頃はロールモデルになる作家がゴロゴロいた。当時、憧れていた作家は「おちまさと」。プロデュース番組がヒットしていて、「企画・プロデュース」のクレジット欄に彼の名前が出ているのを見て憧れた。

僕にとってのロールモデルは「おちまさと」になった。

しかし、作家としてキャリアを積み上げていけば行くほど、ロールモデルから離れた作家生活を送るようになった。彼の書籍を読み、企画とは何たるか、人と違う発想とは何たるか、頭では充分に理解していたが、作家キャリア数年のアラサーの男がいきなり彼のようにレギュラー番組8〜10本と活躍できるわけもなかった。

この頃はテレビ局のニュースサイトで編集業務ばかりしていた。キャリアを積むための修業のような位置付けとして、テレビ番組ではなくネットニュースを作っていた。テレビ局でネットニュースの編集って、相当特殊な環境だった。

まだスマホはない。YouTubeは誕生して1年ほど。3G回線もない256kやら128kの時代に見る動画ニュースのクオリティは、まあひどいものだった。まともに見られない動画を補てんする意味で見やすいニュース原稿を整えてネットに公開する。

そんな環境だから、チームで働く先輩方は新聞記者や編集畑の人がほとんど。文章に対する意識が報道局内で最も高い。イチからたたき込まれた日本語を扱うノウハウはスキルが昇華し、あらゆる場面での文章を書くための土台となった。1日1万〜1万5000字の文章を編集する上にニュースサイトという特性上、公開までのスピード感も求められるので、平日の業務は毎度毎度が戦場だった。

ここで得られたスキルは、他の番組の台本作成に大いに役立つことになる。なんせ編集していたのはアナウンサー・キャスターが読むニュース原稿だ。テレビのニュース原稿は、小学校高学年から中学生でも1度読めば理解できる言葉遣いをチョイスしないといけない。

同じニュースでも新聞とテレビの原稿では言葉遣いが全く違うのだ。

この業務は結局、シフトで週5日・13年続けた。ネットニュースの黎明期から完熟寸前の時期まで携われたのは、今思うととても恵まれた環境だった。

ロールモデルは変わっていくよどこまでも

ネットニュースの編集業務の傍ら、事務所が持ってきてくれた番組やプロジェクトの仕事をこなした。

たまの打ち合わせで六本木の事務所に行くと先輩・後輩の作家に会うので、各局の番組の話など情報交換をする。そのとき、「あ、私はほかの作家とは全く違うキャリアを積んでいるんだな」としみじみ痛感した。

このキャリアの積み重ねでメシが食えてなかったら方針転換をしないといけないが、実際これでそれなりの報酬はもらっていたので、「まぁ、こういうキャリアの積み方もあるんだな」と思いながら日々を過ごした。

こう思えたのは、10年以上にわたって試行錯誤しながら放送作家としてのキャリアを積んできたから。40歳を迎えてようやく自分のキャリアを受け入れることができた。

30代はずっと、「本当にこのキャリアで進んでいいのか?」と自問自答していた。思った通りのキャリアが積めず、事務所やテレビ局のプロデューサー、同棲していた女性(同じ職業)にあたったり責めたりして、攻撃的な性格が出ていたなぁと。今では反省しかないけど、こうして納得しているからよしとしている。

自分勝手・ワガママなキャリアを積んできたので、せめていま自分が持っているスキルやノウハウは、1人でも多くの人にシェアして還元していきたい。問題なのは、私の手法やノウハウは極めて属人的なので、仕組み化・再現かが非常に難しいところだ。そうしたプログラムも構築していく必要はあるが、ニーズを探らないといけない。ビジネスって、やっぱり苦手だ。

現在、小説家デビューを目指している私のロールモデルは放送作家界の大先輩・百田尚樹さん。「永遠のゼロ」「海賊とよばれた男」を読み返してみると、テレビ視聴者の心に響くスケールの大きな物語と、テレビ台本を作ってきたスキルが活かされた文章が掛け合わさり、次の展開を早く読みたくなる。

ロールモデルは自分でつくろういつ何時でも

ロールモデルは結局、自分自身でつくっていかないといけない。答えがない。正解がない。問いは自分で立てる。

仕事の問い。人生の問い。自分自身とはの問い。

私の人生のテーマは「伝わる」だ。どんな文章も、どんな映像も、どんな音楽も、あらゆる表現は誰かに何かを「伝える」ために存在する。ビジネスもクリエイティブもアートも「伝える」ために存在する。

「伝える」ためにはどうすればいいのか。どんな行動を取ればいいのか。どんな思考を巡らせる必要があるのか。伝えるためには考えなければならない。





いったん、ロールケーキでも食べながら考えてみましょうか。




最後まで読んでいただき感謝です。ほんの少しでも、心が動いた、ざわついたなどの揺らぎを感じてくださったら、スキを押してくださると嬉しいです。また、ツイッターでの拡散も大歓迎です!

このnoteは1記事150円の投げ銭方式です。私が好きな缶コーヒー1本をあげてもいいよという心優しい方の投げ銭もお待ちしております!

↓木村公洋・公式サイト↓

ここから先は

0字

¥ 150

この記事が参加している募集

仕事について話そう

暑苦しい文章、たくさん書いていきますので、ぜひサポートを!!