うまい、まづいは別として、おいちい【食べ物のことについて毎日考えてみた】

今日食べたご飯の感想を声に出してみたかと、ふと考える。

娘を保育園に送り出すのに全集中な朝ご飯。Zoomで繋がる誰かと話しながら"1人"で食べる昼食。娘を膝に乗せながら窮屈に食べる夕ご飯。

どれも美味しく食べているはずなのに、「美味しい」や「うまい」を声に出していなかったと気付く。味の感想を口に出さなきゃいけないルールはないけれど、食べているものに意識を向けられていなかったのかと少し悲しくなる。

料理の感想を全然言わなかった父だが、娘には食べた感想を表現豊かに言葉にしてもらいたいと思い、意識して聞くようにしてきた、「ある言葉」がある。

自分で料理を振る舞ったとき、子どもに料理を食べさせたとき、ついつい聞いてしまうのは「美味しい?」ではないだろうか?うまくできたかなの不安も混ざってるかもしれないが、料理を美味しく食べて欲しいの気持ちがあっての聞き方だと思う。

この「美味しい?」に対して「うん」と答えちゃうよなぁと思い、娘が言葉を話すようになってからはご飯の時には「どんな味?」と聞くようにしている。

この質問は「うん」と一言では答えられないので、なにかしら味を表現した言葉を探して言わなくてはいけなくなるので、考えて感想を言ってくれるようになるだろうと思っての「どんな味?作戦」だ。

ただし、味を表現する語彙が少なくては表現もできないだろうと思い、この質問を始めた当初は、夫婦揃って娘の前で「このイチゴあまずっぱーい」「うわぁレモンはすっぱいなぁ!」「ゴーヤにが!」「明太子は辛いんだなぁ!」と娘と一緒に過ごすご飯の時間に強調表現をして、娘の語彙増加を試みた。

夫婦のやたらとでかい声の感想を聞いていたからか、娘に「どんな味?」と聞くと、「みかんはあまーいの」「れもんすっぱすっぱぁ!」と彼女なりの味の表現をいくつもしてくれるようになっていった。風邪をひいて病院で処方されたピンクの甘いシロップを飲んでも「甘酸っぱくて美味しいねぇ」と感想を言えるまでになった。

しかし、最近は「どんな味?」に対しては「おいちい」としか言ってくれなくなってきている。

なぜか。一つは、僕ら夫婦の強調表現が少なくなってきたことがきっかけかもしれないなぁと思う。娘の面倒を見ながら、感想も言わずに自分のご飯を食べる。それでいて「どんな味?」と聞かれてもバリエーションは増えないか。自分のご飯にも意識を向けて、もう少ししっかりと味についての感想を口に出そうと反省している。

ただ、いつも「おいちい」とは言ってくれるのである。彼女にとっていつも食べる料理はいつも「おいちい」のだ。これは大事なことじゃなかろうか?

随筆家の内田百閒は『御馳走帖』の中で、近所の蕎麦屋で普通の盛りを食べ続けることで、うまくなるようだといい、

うまいから、うまいのではなく、うまい、まづいは別としてうまいのである。

と表現した。

娘も同じなのではないか。いつも食べている料理は何度味を聞かれてもうまい、まづいは別として、"おいちい"のである。

料理を食べて「うん」ではなく「おいちい」と言ってくれるのだから嬉しいものだ。

味の表現が豊かになるのはもう少し先でもいい。いまは「おいちい」と言いながら食べてくれればそれでいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?