氷、止めました!

ここ5年ほど、今年の夏まで、私は「氷大好き人間」でした。

特に飲み物に入っている氷が大好きで、コンビニのアイスコーヒーに入っているさざれ石みたいな?細かめの不定形な形が一番理想的で、見ているだけで「よだれもの」です。

会社勤めをしている時も、私の氷好きに対してちょっと周囲が引き気味
でした。

12月のがっつり寒くなった頃でも、ランチに出かけた帰りにコンビニで
買ったアイスコーヒーを手に持ち、肩をすくませながら社内に戻ると
「アイスコーひーっ!!!」と女性たちが悲鳴のような声で驚きます。
午後の業務に就き、アイスコーヒーを早々に飲み干し、その後氷をガリガリ食べると、そのガリガリ音は自分が思っているより周囲に聞こえていて、
「氷食べてる!」と離れた席から同僚に指摘されたことがありました。
他に食べる場所が無く、断腸の思いで氷を食べることを我慢し、その後も
私の氷好きを理解してくれる人と一緒の時だけ、氷を食べるようにしましたが、我慢は辛いものでした。
まるで愛煙家にとっての煙草のようなものです。

在宅勤務になると、アイスコーヒー飲み放題、氷食べ放題のパラダイスです。今年の夏前〜夏にかけて、1日に冷たい飲み物を多いときには4〜5杯、プラス氷おかわり、という平日でした。

さすがに罪悪感はありました。しかしこれだけ冷たいものを摂取していても、冷え性でもなく、お腹を壊すわけでもないのです。いっそお腹でも壊してくれれば、「氷やめよう」と思えるのに。
氷を止められないし、むしろ止めたくないという思いから、やけくそで自分の氷好きを諦めかけ、「だって私は慢性貧血だから、体が欲してるんだもん!」と開き直ってしまおうかと思いました。

でもどう言い訳しようが、自分の体です。何とか氷を止められないかと考えていたところ、友人からたまたま「白湯」の本をもらいました。
その本によると腸は40度以上にならないと動かない、と書かれており衝撃が走りました。私は便秘症なのです(子供の頃からだけど)。

「体を温める=血流が良くなる」
去年?NHKの「人体」シリーズを見て、私は血流の重要さを叩き込まれました。「血流の滞り=万病の元」と私は素人ながらに考えました。
これはもう、氷を食べている場合じゃない! 
何気に心配している子宮や子宮筋腫をはじめ、体内は冷たいものに晒され続け、密かに悲鳴を上げている。

私は何とか氷を食べることを止めるため、氷を止めた方がいい理由を自分の中で繰り返し考えるようにし、朝、白湯を飲むようにしました。すると...
白湯で弾みがついたのか、徐々に氷の量を減らすことができ、アイスコーヒーを飲む回数が減り、ついには氷入れないで飲むか!と氷無しを選択するようになり、今は氷が無くても冷たい飲み物を一瞬躊躇するようにまでなりました

大したことないと思われるでしょうが、
「あんだけ好きだったもの、これは止められないだろうと思っていたものが自分の意志で止められた」ことはこれは本当に大きなことです。

これに近い経験がもう一つありました。
私はスマホを初めて持つときに、一目惚れしたデザインの機種があり、ずっとそのシリーズを使い続けていました。しかし、7年使用していたこのスマホに不具合が出始め、買い換えようとした時、そのシリーズの最新のスマホは機能的にどうしても不便でした。デザイン重視なので、デザインは気に入っているものの、その機種の購入にどうしても踏み切れませんでした。

葛藤に葛藤の上、やけくそで他の機種を検討することにしました。
すると、まぁまぁいいかなぁと思うデザインとバッテリーの持ちの良さで
選んだ今のスマホは、使い始めると思った以上に好きになりました。

「自分の大好きな事、ものは止められない」というのは鉄壁のハードルみたいなものです。そこを崩さず、他の方法を選んできたように思います。
でも、その鉄壁を何とか崩してみると、自分の世界が広がり、自由を感じました。

仕事柄、こだわりは持つべきだと思うのですが、一方で柔軟であることを自分に課しています。思い込みや先入観も出来るだけ取り払うようにしていますが、おそらく思い込み自体に気がつかない時も多々あると思います。

氷を止められたことは大きな自信となり、温活・腸活に励んで、便秘も大分良くなりました。今後他にも、いろいろな場面で活きるような気がします。

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