父の仕事、私の仕事

私の仕事はたぶん一言では表現できない。そして父の仕事も。(まぁだからこのnoteに書こうと決めたのだが。)普段、他人に「何のお仕事してるんですか?」と聞かれると、いちいち説明するのが面倒なので、父の仕事の手伝いです、とざっくり答えている。会社の事務とかです~とか適当なことを言って逃げていたのだが、やっぱりこの仕事に誇りを持ちたいと最近思ってきたので、こうして言葉に起こしてみる。

父の仕事は蛾の研究。というか、虫が何よりも好きで好きでそれを仕事にしてしまった、というかなり稀有な例である。好きなことを仕事にする、という思考回路は父の影響が強いのは言うまでもないのだが、やっぱり、どう考えても簡単には理解されない仕事だろうと思う。世間から明らかにズレている生活をしているのは、実家に帰ってきてから身に染みて感じるようになった。父は昼も夜も関係なく、いつも蛾を顕微鏡で覗いていて、「同定」という仕事を常にしている。同定の依頼は内地の生物調査会社からくるもの。ノルマみたいなものがあって、1匹いくらという単位計算。好きな蛾だからか、一日中机に張り付いて蛾を同定していて全く苦にならないらしい。同定作業で、蛾の性器(ゲニタリア略してゲニ)を顕微鏡で覗きながら、図鑑や資料と照らし合わせて、おおこれだ!やった!と小躍り(本当に踊る)することもある。かなり変人な父だと思うのだが、本人も自分が変人の部類にあたることは承知らしい。そんな父の仕事を手伝うようになって4年目。だいぶ父との関係性にも慣れてきたが、締め切り目の前になると家の中が殺伐とするのは変わらず慣れない。それでも続けているのは、第一には自分の体調を最優先しているから。父は私の病気に理解があるので、「休み休みやっていい」と言ってくれている。(締め切りがどうしてもある時は別だが)

父の仕事の手伝いは、例えば、蛾の幼虫を20匹飼育することだったり(餌の確保が大変)、動物園から依頼された虫を採ってくることだったり(全然季節を無視してくるのでこれも探すのが大変)、蛾の膨大なデータを処理(主にPC作業)することだったり、父が山で採ってきた蛾にラベルを貼ったり、時には蛾の標本作りを手伝うこともある。本当に多様なことをやっているので、一言でこれです!という風に説明できないのがもどかしい。生物調査の補佐の仕事です、と言っても大体は「はぁ」という感じで全然ピンと来ないのは当然である。この仕事が自分の生涯の仕事になるのかと言われると、うーんとなってしまう。なぜなら、「虫が好きでも嫌いでもない」からだ。虫は幼い頃から身近にいる存在で、標本だらけの冷蔵庫が4個ある父の書斎に疑問を持ったことは一度もなかったし、それが当たり前だと長らく思っていた。こんな我が家が少し(いや、結構?)変わっていると自覚し始めたのはつい最近のこと。父の仕事を手伝っていて、しょっちゅう言われる「もっと丁寧に」という言葉。この「丁寧さ」が結構、度を越えていると私は思うのだ。虫屋(虫の研究、愛好家のことをそう呼ぶ)の間では、当然とされている常識があまりにも丁寧すぎるというか、異常なまでに、繊細さを求めるなぁと、自称繊細さんな私でも思ってしまう。標本に関していうと本当にここまでやる?!というくらい細部までこだわることに本当に驚いた。神経質とかいう次元をはるかに超えた世界だ。虫屋独特の繊細さについていけないなーという気持ちと、すごい世界だな。。。と心底父の独特な世界観はここから来ているのかと思うと、面白くもある。

仕事をこのまま続けるのか、はたまた全く違うことをするのか。そういう選択肢が残されているというこの状況はありがたいと同時に、自分で責任を持つという怖さもある。自由が怖い。父は自由にやっているように見えているだけで、私の知らないところで不自由さを感じているのかもしれない。苦労して苦労して手に入れた自由なら、手放したくないと思うのかもしれないが、最初から自由が目の前に広がっているとそこに飛び込む勇気が無くておろおろしてしまう。「自己責任」という言葉が世に出るようになってから、ますますそこに飛び込む勇気が失せてきたように思う。勇気とかそういう次元の話ではないような気もしてきた。私は結局なにがしたいのか、を考え始めるとなぜ働くのかという根源的な問いにぶつかる。なんか、就活前の学生みたいな悩みだが、29歳になってもそんな素朴な問いに答えは出ないままだ。父の様子を見ている限りだと、「働くのはそこに虫がいるから」、「興味が尽きないから」だよなぁとつくづく思う。父がよく言うのは「これは長い夏休みの自由研究だから」という言葉。そう、一生「自由研究」してる感覚らしい。仕事に対する価値観、というとすごく偉そうだけど、そういう「面白いことを追究し続けたい」欲求が仕事の根源にある、そういうモデルが身近にいることは、稀有なことだし、自分に強く影響しているのは言うまでもない。私も好きなことを仕事に出来るんじゃないか、という淡い期待をしてしまうのは、あまりに単純だなぁと思うけれど、父の背中を見ながら、自分も自分の好きな道を見つけなさいと言われているようで、なんだか勇気をもらうのだ。

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