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私というややこしい女

〜結婚してからの気づき→後悔→自責〜

気づいたら30半ばを過ぎていた。
私は
「〜しなくちゃいけない」
「〜であるべき」
にまみれて生きてきた。

自分だけならまだしも、家族や職場など周囲の人にもその偏った思考を押しつけてきたから、周りからしたらとんだいい迷惑だ。
それから、
「〜しなきゃいけないのに、できない」「〜しなきゃいけないのに、できなかった」
ことに悩み、隙あらば自分を責め、苦しんでいる。
「他の人はそんなに苦しそうじゃない。のうのうと生きてる。なんでだ?自分はこんなに苦しんでいるのに」
そんなふうにさえ思っていた。

今でこそ、その傲慢さがわかるが、当時は自分の苦しみを免罪符に、人をがんじがらめの「べき思考」で虐げてきた。

「べき思考」で人を縛ると、相手の感情や行動の自由を奪う。
それだけじゃない。人に向けた「べき思考」はもっと大きく分厚くなって、自分に返ってくるのだ。
四六時中その物差しで自分を見張り、ジャッジするようになる。絶え間ないダメ出しを自分に与えざるを得ない。
私は幼い頃からこのループをずっと繰り返してきた。

それが家族をどれだけ苦しめているか、どれだけ自分を苦しめることになるのか、当時は顧みることもなかった。

それにやっと気づいた今、頻繁に思い出す言葉がある。
まだ学生の頃、原因は忘れてしまったが姉と激しい言い合いになった。その時姉が涙ぐみながら震える声で言った怒りに満ちた一言。

「おまえはなんなんだよ、王さまなのか!!家族を振り回して何さまなんだよ!!」

そこに、私が家族にしてきたことの重さが表れていた。
でもその時の私は、姉が何を言っているのかよくわからなかった。
いつもあまり大きな声を出したりしない姉が怒鳴ったことにびっくりしたせいもある。が、それより「なんのこと?」という感じだった。罪の意識なしだ。

小学校高学年で私の肥大型心筋症がわかり、それなりに不自由なく過ごせると思っていた学校生活が一変。

緊急入院、毎食の薬の服用・副作用、学校の送り迎え、体育の授業禁止、掃除当番も不可、卒業旅行の班行動も難しく校長先生と2人きりのタクシー移動など…。

「学校」という集団生活の枠組みのなかで、私にはどうしても「周囲と同じように」やることが困難な事象が出てきてしまう。

結果、オドオドしながら立ちすくんだり、何をしたらいいかわからず居心地が悪い思いをしたり。
周囲と同じことができない私を、とがめる同級生や教師もいた。
また、息切れ、胸痛、立ちくらみなど、心筋症の自覚症状もとても辛かった。
自分が思う以上に自分の体が病気の影響を受けていることを、日々のいろんな場面で思い知らされた。
「自分はこんなに疲れてしまうんだ」とショックで涙が出た。

傷ついたこともあったし、申し訳ない、恥ずかしいと思ったことも、何度もある。

その鬱屈とした思いをどうすればいいか、私にはわからなかった。
振り返ると、そんなものを家族にぶつけ、バランスを保とうとしていたのかもしれない。

自分が家族に対してしてきたことがどれほど傲慢だったか、結婚して実家を出てやっとわかった。

母や姉、支えてくれた人たちそれぞれの思いやこれまでの人生を、ようやく考えるようになった。

毎日遠い病院までお見舞いに来てくれた母と姉の姿、
あのけんかの日、姉が振り絞って言った言葉、
結婚して家を出ると告げた後、涙ながらに「もう泣かない。幸せになるんだよ」と言ってくれた母のこと、

ベッドで思い出す。
罪悪感のせいなのか、後悔なのか、わからない涙が出る。
こんなことで泣いて、どこまでも自分はずるいなと思う。

どうしたらいい。
いっそ消えてしまえたら、もう迷惑もかけず、誰かを傷つけることもない。
これから、傷つけてきた人を癒やし、傷つけてしまった罪を償うような生き方ができるだろうか。
そんな自信もない。
自信がないとか言っちゃうへたれな自分しかいない。

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