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「大人になりきれない」人こそ次世代の主役かもしれない

「ネオテニー」という言葉がある。
「成長期のままの状態で性的成熟に達し、成体になってしまうこと」を指す生物学上の専門用語らしい。
要は「子供のままの部分を持った大人」ということだ。

ネットを探っていたら、このネオテニーに関する講演資料を見つけた。

https://kodomogakkai.jp/m/pdf/24.pdf

いつの講演かわからないのだけれど、今改めて読んでも新鮮な発見があった。ちなみにスピーカーの尾本惠市さんは東京大学の名誉教授で、人類学の世界的権威だ。

面白いのは、ネオテニーの話が体だけではなく「精神」にまで適用できるかもしれないということだ。

さて、ネオテニーというと何か解剖学の身体的な話ばかりのように思われるかもしれませんが、そうではない非常に大事なことがあります。それは精神的特徴も、実は子どものときあった性質が大人にまで引き継がれていくということです。これに関連して、ワーズワースが「子どもは、人の父である」とか、ヘルマン・ヘッセが「人は年を取るとともに若くなる」などということを言っています。

https://kodomogakkai.jp/m/pdf/24.pdf
5ページめより抜粋

尾本さんが言うには、子供の頃にできた好奇心が、大人になってから探究心や創造力のタネになる。

世に「天才」と言われる人たちも、要はこの子供の頃からの好奇心を切らさずに持続できた人たちのことを指すというのだ。

これを読んだとき私は、

「これからの時代を生きるための重要な本質がここにある!」

と思った。

社会で生きるということは、大人としての成熟を求められるということでもある。自分本来の好奇心がどこにあるにせよ、多かれ少なかれ「社会に求められる価値」にむけて自分を方向づけしていく必要が生じる。

だが、本当の意味で新しいこと、楽しいことを見つけて社会に価値を創造するには、子供のころの好奇心やワクワクを持ち続ける必要がある。というよりそこにしか「自分の人生」はないとすら言える。

その好奇心の在り方は人それぞれだ。
ある人にとっては、大きな社会的成功や名声を掴むことかもしれない。
またある人にとっては、静かで穏やかな生活を営み続けることかもしれない。

いずれにせよその根底にあるのは、「その人にとって自然な在り方かどうか」ということだろう。

自分本来の自然な在り方を掴めている人は、きっと社会に出ても軸を持って確実に行動できる。あるいは1つの領域でうまく行かなくても、また別の領域でチャレンジしたり、視点を変えて生きるという意欲が生まれるだろう。それは、「社会が自分の価値を規定する」からではなく、「自分の価値を発揮するために社会という場に乗り出る」というベクトルを持っているからだと思う。

そしてそういう精神を持った人は、きっと社会に本質的な価値を創出できるポテンシャルを持った人でもある。なぜなら、社会や他人に依存せず、自分自身の好奇心や問題意識を貫き通せるからだ。その自己判断ができる人は、きっと誰もが想像もしなかったブレイクスルーを生み出す力を持った人だ(もちろんその力を使う使わない含めてその人の自由だ)。

そこまで考えて、次のように思い至った。

こういった「社会の中でたくましく生きているけど、自分本意な部分も失わない」というスタンスこそ、大人世代が子どもたちに教えるべきことなのではないか。

いみじくも尾本さんが同じ資料の中でこう言っていた。

ただ、そういう個人の気持ちをいかにして教育で伸ばすかということが、ちょっと難しいのです。教育ではなかなか伸ばしにくい。自分で自分の道を開いていかなければならない。ですから独学でやっていかなければいけない。独学が間違っていたらいけないのですが、先ほどの集中力あるいは持続力というものをうまく生かせば、ある個人的な独特の好奇心から何か新しい発見が生まれるに違いない。
やはり教育の中で、そういう要素も大事なのだということを認識する必要があるのではないか。教育というのは、みんなが同じことを同じぐらいのレベルで学ぶことではないのではないか。個人というものの独特の達成というものがあるのではないかと思います。

https://kodomogakkai.jp/m/pdf/24.pdf
9ページめより抜粋

他人と同じことを考える必要なんてない。
自分本位に、本当に楽しいことを大事にできる、子供みたいな大人になる。それこそがきっと次世代の生き方だ。

(「次世代の教科書」編集部 松田)

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