読書、マッシュアップ、オチなし
電車はいい読書の場だよねぇ
仕事の影響で読書嫌いだった私が本好きになっていた
今も物語は子供のものでも難解すぎて読めないのだが、エッセイや歴史本は大好きだ。
あくまでも日記、つぶやきの延長線なので支離滅裂なのはお許しを。
今日のマッシュアップ
ひらあやまりー嬉野雅道 KADOKAWA
極上の孤独ー下重暁子 幻冬舎新書
馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。
ー藤森かよこ KKベストセラーズ
嬉野さんは以前彼の担当する
水曜どうでしょうのD陣ガチ勢をやっていた頃がある
フェイスブックのサロンに入会し、なんやかんやいってオフイベントに行き、大学のレベル的ににHTBに入るのは無理だったが、入社試験超えられなさそうだからと言って若さと勢いでインターン行くぐらいにはガチ勢であった。
下重暁子氏は極上の孤独から新刊を買うまたは図書館で借りるなど、取りこぼしがないくらいには読んでいる
私の孤独ブームは彼女の著作からで
「わかりみ」が多い方だと思っていたが、よーく読むと全然違う思考で最近は目からウロコという感覚で読んでいる。
藤森氏は以前、ダ・ヴィンチかなんかの雑誌で馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。という強烈なタイトルで購入
同じく馬鹿ブス貧乏なので勉強になった。だから更に読書を積極的になったのは言うまでもない。教科書的存在
社会人になってから「ひらあやまり」を読んだとき
「なんかこういう働き方でいい給料もらうのとかマジムカつく」という元信者らしからぬ思考にたどり着いた。
その前にD陣共著で出した「仕事論」で何故か頭にきてしまったのだ。すごく説教ぶち込まれている気分だった。「20代は職場に慣れる時間、学びの時間、経験を積む時間、やりたいを忘れてしまうと会社の中で何も考えない人間になってしまう」
と、今思えばメチャクチャいいこと言っているんだなぁ
(改めて読むつもり)
改めてひらあやまりを読むと「自分にしかできない仕事を見つけるって大切だなぁー」と思った。
嬉野さんの働き方は唯一無二だと思う。
ただ、毎日ワードだのエクセルだのマクロだのやる仕事じゃないのだから。ゼロをイチにする仕事側の人だということを私は社会人になって、スッカリ忘れていたのだった。
読んでいくと気づくものがあった。
「誰かの背中に乗っかるくらいがちょうどいい」
なんて、時代の真逆を行く思考の人だった。
何したいのかやり始めたら思いつくタイプで誰かの人生に乗っかりタンポポの綿毛が落ちたところで懸命に働き出すタイプらしい。
ガチ勢人生振り替えてみれば、そういえば、彼はそいう人だ(笑)と読めば読むほど納得してしまった。
その頃その考えに感銘を受けていたかは忘れてしまったが
今や「孤独本」ブーム。敬愛する方のエッセイも独居老人をテーマにした本ばかりで、私も沢山感銘を受けた。
嬉野さんは孤独もしっているだろうけど、孤独で生きるのではなく場所を感じて生きている人だった。
D陣は「場所」というものに今とても拘っている気がする。祭りやキャラバン、人と人の繋がり、居場所を。
この本で「人類の視点」というのを述べているが
人類全体を俯瞰に見下ろす視点なので、出発地点はすでに自分じゃない、という斬新な視点である。
自分のことだけではなく、みんなのことも全体に見渡せる。自分から離れた視界、個人の視点だけで生きてきた先に見つけたモノ
未だに解明できないが、この視点って必要なんだと思った。
さて、ここにマッシュアップしたのは
極上の孤独
今や孤独ブームで、私もたいそう下重暁子氏の本に影響されてきたが、やはり彼女は人類の視点を持ちつつ人間性は孤独に生きることを選んだ人であって、一人で生きるがつれあいもいれば仲間は数え切れないくらいいる。
孤独と孤立は別物なんだよね
これを同じものと捉えていた私は、きっとD陣の場所の理論が歪んだように聞こえて「元」ガチ勢になったのだと今は思える。
この本を読んだ当時は、片っ端から一方的に趣味やコミュニティから縁を切りまくった
という下重氏もコイツ…バカでは?と青ざめるようなことをしていた(笑)
(品のないとはこのような状態…)
もう一度、下重エッセイを読み直そうと、ひらあやまりで気がつくこともあるのだと感じた。
完全に誤読
更にマッシュアップ
下重エッセイを読んでいくと彼女は孤独主義で生きている、生活の選択肢もすべて彼女はセルフで決める。しかし彼女にはつれあいがいる。
馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。の藤森氏も、そんなスペックと自負しているが、パートナーがいる。
私はいつも「孤独」や「ブス」という手の本で驚くのは
パートナーがいるまたは周りにメチャクチャ仲間がいるのだ。
なんだよ!!!嘘付け!!!と思うことがほとんどだった。
しかし、藤森氏の理論で納得してしまった部分がある
女には三人の男が必要論だ。
①元気な頃の間に欲を満たす相手
②知的に刺激してくれる相手
③生活をともにするパートナー
(※これをひとつの人に期待するのは無理)
これを見た瞬間に「納得してしまった」のだ。
若い頃に欲を満たさないととても大変なことになると何処かの本で書いてあったが、アラサー間近となりそれが「わかる」となった。
いわゆるワンセット経験していない人間の気持ちがまだ十代男子のテンションでいることを他人から実感してしまい、これは恐ろしいものだと思ってしまった。
私は特異体質なので、欲は全然要らないのだが、別の欲を満たしていかないと歳をとったら暴走しそうなのは言うまでもない。ここの指摘も本に載っている
男女問わず知的に満たしてくれる人もほしいし、生活を補完してくれるパートナーはほしい。
下重氏とつれあいの関係は、補完関係ともいえ、この本に載っていたときには驚いた。
私は恋愛結婚が世の常で、私はその特異体質から無理な話だと思っていた。
友情以上をすべての性別に全く求めていないからだ。
下重氏、藤森氏の本を読んで少し勇気が出た。
このように、一つの本では大誤読をしたりムカついたりするが、マッシュアップすることによって具現化される読書があるのだと今気がついたのでnoteにアップしてみました。
なので脈絡がないのだ
頭の中は常にマインドマップ状態である
おまけ、もう一冊 マッシュアップするなら
欲が出ましたーヨシタケシンスケ もよかったかもしれないな…この本もなかなか哲学だった。
あーチーム嬉野見てないかなー(あっ本音が…)