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イージーゴーイングな人々(台湾旅)

台湾は男の人が怖くない。そう書くと、誤解を招きそうなので説明が必要だね。
日本ではかつて家うちの男性を表現するのに「嵩高い」という言い方をしたものだ。娘世代以降の方々は知らないことばかも知れない。父親、あるいは知人の夫というもののあの何となく大きくて邪魔くさく、しかし邪険にもできない軽くも扱えない、少々面倒な感じ、と付け加えると見当がつくだろうか。

例えば少女の頃、友人宅へ行った際に「今日お父さんいるんだ」と言われると「あっそうなんだ」と首をすくめるような。決して悪い人ではないし、怖いわけではないし、不機嫌でもないのだが、いないでくれた方が寛げるよね、というのが嵩張って高いという表現になったものだろう。

かつての昭和の男達は、大体がそういう嵩張る存在だった。高校生くらいの女子に父親が煙たがられる、というのもその一種じゃないかしら。彼らが失いたくないと思って手放さない「威厳」的なものに空虚さを敏感に感じとって避ける娘さん達はきっと聡いのかも知れない。

安宿、安ご飯が中心の旅だったから余計かも知れないけれど、台湾を移動している間、そういう類の男性に会うことがなかった。もう10年以上前だが、娘が大学時代に台湾に行った時の感想が「女の子達が楽そうに生きている」だった。ふーん。
同じ渡航しやすい距離でも韓国とは何かが違いそう。

今回の旅前にいくつか台湾に関する書物を読んだ中に「台湾はおばちゃんで回ってる」があった。中身は子を持つ女性の台湾での経験談だが、そういう題名をつけたくなる感じが日本で育った著者には感じられたんだろうと思う。

たった数日の滞在では男女の対等感などはわからなかった。まぁ、最近まで女性が首相だったくらいだ。おばちゃん達はもちろん活躍していたけれど、おじちゃん達が萎びているようでもない。むしろ、街にいる男性達はどの年代も何となく気楽にやっている感じが漂っている。

相当に知的な感じの壮年男性が里芋のお菓子を作って売っていたりする。あんな立派な働き盛りの男性が(実際ナイスガイだった)日がな里芋をねりねりしてスイーツを作ったり売ったりしているのだなぁと何となく感慨を持ってしまう。そういう感慨を持つ、というのがまさしく昭和の日本婦女子である証拠。

そう言えば、膝の手術で入院している時、男性の看護師さんを見て「男性にこんな仕事をさせて申し訳ない」と言っていたのは70代の女性だった。看護師さんは患者の髪も洗ってくれるし、トイレの介助もしてくれる。力仕事もある。

朝ご飯屋さんも忙しそうだが、張り切っている、これが台湾のハンバーガーだよ!と何度も大声で伝えてくれたお爺ちゃんも楽しそうに作ったり売ったりしていた。夜市では妻が切り盛りし、夫が赤ん坊にミルクを与えている光景も見た。どこから来たの?日本人?などと会話して物とお金が交換されていく。どこかのどか。余裕がある。

日本の昔の職業選びには「男子一生の仕事」などという観念があった。職業婦人たれと言われて育った女子の私もそれに準じていたのに、一生のはずが、やりたいことが変遷していく自分を後ろめたく感じ続けていた時期もある。なんか悲壮感があるねぇ、あったねぇと思う。

何というか、台湾ではいろいろみんな気楽そう。もちろん解決すべき大ごとは皆の共通の関心事だろうけれど。でも、日常のこの過ごしやすい、楽ちんな感じって何だろう?旅の途中で考えて気づいた。あ、男の人が怖くないんだ。

すると、怒っている女の人の方が怖いわけで、つまりマックスの恐怖がそれ。だからあんまり周囲が怖くない。急いでいる人はもちろんいるけれど、親切な人がたくさんいて、その親切がものすごく親切なので、街で過ごす時間が楽。どこか安心していられる。疲れたら腰を下ろすベンチ様のものがあちこちにある。みんな、ほうっと腰掛けている。

これは南国だからだろうか。
40年前に父と訪れた時の台北は、20代の私は「昭和の日本みたい」という感想を持った。多分あの頃の台湾は日本を目指していたのかも知れない。今でいうレトロなものがたくさん売られていて、おしゃれじゃなかった。

40年経って再訪したら、とってもおしゃれになっていた。おまけにIT化も進んでいるし、かつては割れていた国民のアイデンティティも「台湾は台湾のままで」という一つに統一されつつある。
負けてるよねぇ、日本。その上、人々は親切で温かい。公共の交通機関や庶民の食べ物は安価。負けも負け、大負けな気がしてきたぞ。

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