木村緑夏

「ことば」の持つ力から想いが離れません。ひとのことば、書かれたことば、温かいことば、荒…

木村緑夏

「ことば」の持つ力から想いが離れません。ひとのことば、書かれたことば、温かいことば、荒々しいことば、ことばはさまざまあって、刺さりもするし、力付けもする。わたしはことばを紡いで誰かを温めたいと思っています。

最近の記事

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短い物語のページです。

自己紹介。 原稿用紙にすると30枚くらいの短い物語を書いています。3〜4回で読み切れるサイズ。時折、やむに止まれず、いたたまれず、どうにもならず、吐き出すように、(全部ダメですよね?)書いてしまうエッセイもあり。読んでくださったらうれしいです。

    • やっと自分を生きられる

      ヘミシンク、という不思議なものに取り組んで一年が経った。 昨年は家庭内学習というCDをよく聴いて、日帰りの講習を受けたり、1週間の漬けこみ合宿的なものを受けてみた。今では家庭内学習CDを週末に聴く程度になった。ヘミシンクについての私のすごくざっくりした説明は過去の記事にあります。 ふと気づくと、当初のあの深いリラックス感が今のヘミシンク後には無い。無いと思ったら、実は深いリラックス感は日常化しているのだわ。なんて素晴らしい。 交感神経の説明でよく見かけるように、交感神経は

      • イージーゴーイングな人々(台湾旅)

        台湾は男の人が怖くない。そう書くと、誤解を招きそうなので説明が必要だね。 日本ではかつて家うちの男性を表現するのに「嵩高い」という言い方をしたものだ。娘世代以降の方々は知らないことばかも知れない。父親、あるいは知人の夫というもののあの何となく大きくて邪魔くさく、しかし邪険にもできない軽くも扱えない、少々面倒な感じ、と付け加えると見当がつくだろうか。 例えば少女の頃、友人宅へ行った際に「今日お父さんいるんだ」と言われると「あっそうなんだ」と首をすくめるような。決して悪い人では

        • 帰ってきた猫、来ない猫、行った猫

          友人の猫ちゃんの一匹がもう一月近く行方が知れない。 短歌を書いて祈っているのをインスタグラムで知り、私がその昔書いた短歌を伝えてみた。ニケ、君のことだよ。 「瀬をはやみ岩にさかるる瀧川のわれても末に逢わんとぞ思う」飼い猫たちを室内から一歩も出さない今より、ずっとワイルドだった45年くらい前の東京の話。 車のほとんど入ってこない道の突き当たりにあった木造貸家、その一階に住んでいた私たちの猫、ニケはある時いなくなって随分心配した。諦めるということを知らない若い私は、全身全霊で探

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        短い物語のページです。

          基礎控除に文句があります!

          政策って言うと難しそうだし、予算とか法律とか、クリアしなければならないものがつきまとうものなんだろうな。でも、こうであって欲しいというアイディアを書き出していくのは、実際考えの道筋を作る役に立つし、もしかしたら友人知人や他の人たちだって、私ならこういうのがいいよ、と意見が生まれるかも知れない。 だから、ちょっとづつやってみようと思う。 さて、まず一番に声を大にして言いたいことがある。毎年2月の末頃、つまり確定申告をするたびに「くぅ〜っ」となることがある。確定申告をするように

          基礎控除に文句があります!

          エアポート成田の行方

          12月初頭に台湾旅行をした。リウマチを患った年の10月のプラハ、12月のアフリカ、ルワンダ行きが最後だったから海外に出るのは11年ぶりということになる。その間の私には2年間の激痛の日々に続いて5年間の車椅子暮らし、そして新型コロナ感染症期間があった。 久しぶりだし、旅元年ということにしようかしら。養う子もない境遇なので、時間をとって若い頃みたいな手作りの旅行をしようと思い立った。体力的に、貧乏旅行はできないまでも急がない旅がしたい。 湘南から成田空港へは成田エクスプレスが

          エアポート成田の行方

          30年ぶりのキリスト降誕劇(遠くの国で苦しむおともだちのこと)

          孫が娘と同様キリスト教系の保育園にお世話になっている。私はキリスト教ではないので全くの偶然だが、30年振りにクリスマスページェント(キリスト降誕劇)を鑑賞することになった。祖母として幸せなことではある。 登場人物はヨゼフ、マリア、天使達、羊飼い達、東方の賢者3名、宿屋の主人達と多く、おまけに今回はヨゼフもマリアも二人づついるという豪華版。数年前は人前で体を動かして披露することを飲み込めなくて、小さく丸まっていた彼も今日は元気に歌声を響かせていて、成長を感じさせられた。 幼

          30年ぶりのキリスト降誕劇(遠くの国で苦しむおともだちのこと)

          ストップ、 イスラエル

          パレスチナは遠い。フランスやらオランダやらのヨーロッパより実際の距離は近いのに、文化と情報が遠いのだ。いったいパレスチナとはどんな国で、ガザとはどんなところなんだろう?そう思って調べたのは10年にも満たない数年前なのを覚えている。 同僚が聴いているイギリスBBC放送は現地の様子を実況中継しているのだろうか、ものすごい緊迫感が伝わってきて、私はドキドキし過ぎて心のざわつきが治らず、イヤホンをつけてもらった。(日本の報道、どうなの?と思う) 現在の最右翼的なイスラエルの強硬な

          ストップ、 イスラエル

          わからないことをわからないままに

          森達也監督の映画「福田村事件」が封切った。少し前からこの事件を史実として調べ続けてきた辻野弥生さんの同名著書を読んでいた。 地球に起こる人類のもたらす災いのうち大規模なものの多くは「善人が善人を殺す」という形態をとっている事実を考える。アウシュビッツ然り、ルワンダの大虐殺も、この福田村事件に限らず関東大震災で起きた全国的な朝鮮人虐殺もそうだ。大きな括りで言えば戦争もその範疇に入るかも知れない。 私たちは扇動するものがあれば簡単に扇動され、勢いづく。これを止めるためには扇動

          わからないことをわからないままに

          緑で武装する(心の弱いまだ見ぬ友人へ)

          長いこと、人類の歴史を直視するのを避けてきた。歴史というよりは、人類がしでかしてきたこと、というべきか。なぜならそこにはいいものもあるが、悲惨なこともたくさんあるからだ。知るべきことがあることを感覚ではわかっていたからこそ、自分がそれを直視するのに耐えられないと思ってきた。 私は若い頃から同調する感情が強すぎて、遠くの話でも平常心に戻るのに数日を要することがある。新聞もテレビも見ないのはそのせいで、マスコミに対する批判からくる意識高い系だからなんかじゃなく、つまりは逃げてい

          緑で武装する(心の弱いまだ見ぬ友人へ)

          最後通牒の使い方

          山下達郎さんは、私の最初の音楽への目覚めだったかも知れない。彼の2枚目の アルバム、Spacyは大好きな一枚で、二曲目の曲は私を瞬く間に数十年前に戻してしまう。同時代を若い人として生きた、あの粘りのあるボーカルは彼独特のものでかけがえがない。 さて、その彼が故ジャニー喜多川氏のことで発言したのを文字で読んだ。賛否も容認も失望も渦巻いているみたいだけど、彼の立場と感慨を余すところなく話していて、それは理解できた。 そして、達郎さんの「そういう方には私の音楽は不要でしょう」と

          最後通牒の使い方

          色々な人、色々な大きさ、色々な服

          服作りでもうひとつ実現したかったのは、サイズ展開。 ファストファッションの最初のブランド、GAPが上陸したのは1994年だそうだ。それまでの国産の婦人服はほとんどがワンサイズで、時々7、9、11号サイズの展開だった。特にデザイナーズブランドが隆盛を極めた頃はワンサイズ。 「普通」という狭い枠からはみ出してしまう小さいものも大きいものも特別な売り場、限定的なブランドしかなかった。特定の百貨店の隅っこに押し込められたそこに行くのは、排除されている気がしたかも知れない。服に自分を

          色々な人、色々な大きさ、色々な服

          絵を描いて生地を作り、服や雑貨を作って端切れまで。

          昔々のことになるけれど。 1992年に始めたオーガニックコットンの輸入仕事は、当時どこのアパレルに営業しても採用されなかった。そこで仕方なく自分たちで作ることになったのだった。 一番良さそうなのはベビーウエアだということで作り始めると、裁断残り(残反ーザンタン)が出る。当時は縫製工場も50枚、100枚という大量生産でしか引き受けてくれなかった。積み上げた生地をチェーンソーみたいにグラインダーという刃を使ってカットしていくのだ。大量にザンタンが出る。 エコを標榜して始めた仕

          絵を描いて生地を作り、服や雑貨を作って端切れまで。

          Hondaフリード君の犠牲

          交通事故を起こしました。ナビに導かれて細い道に入り込み、横転という派手なことになった。 相手のある事故でなく自分も無傷で(ご心配なく)、よそのお宅の庭木が少し損傷した程度の事故だが、車は結局廃車になってしまった。 その晩も翌晩も、夜中に後悔のフラッシュバックが起きて数度目が覚める。苦しかった。ようやく少し気持ちが落ち着き始めた今朝、連日の忙しさでこのところ遠ざかっていた瞑想をしてみた。 いつもの自分を取り戻すため、と思ったし、廃車になってしまった車が可哀想になって泣けてき

          Hondaフリード君の犠牲

          親切なお節介

          もうひとつ覚えている光景がある。 車椅子で某所に通っている時、うっかり混雑時に帰宅が合ってしまった。コロナ前の通勤電車は(今もまたそうかも知れないが)ぎゅうぎゅうの鮨詰め状態だったから車椅子は内心、ごめんなさい!な気分なのだが、物理的に結構場所を占める。 満員電車に、乗客がさらに乗り込んでくる。車椅子の私は上方がポッカリと空く。ちょうどアラビア数字の6みたいな感じ。両手でリュック的な重そうなバッグを抱えた人が私の隣に立ったので、私の眼前にそのバッグが来る感じになる。 その

          親切なお節介

          それは私ではいけませんか?

          用があって駅を使う。電車を利用する。大勢の人が一様にスマホに向かっている風景はもう見慣れた。時々そうでなく、本を読んでいる人がいるとちょっと感心したりするくらいだ。 いつだか、電車が止まってしまったことがあった。私がまだ車椅子を利用している頃だ。車椅子は降りる予定の駅に乗車の号数と出口の位置を予め知らされている。その電車はしばらく止まってから走り出したが、アナウンスは次の駅で停止しての乗り換えを促している。 どうしたらいいんだろう?内心焦った。しかし、車内はもっと焦ってい

          それは私ではいけませんか?