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誰かの正しいと思うことを手放すこと

久々に書きたくなったので書きます。

普段は、ついつい疲れたとか、自分の心の中にとどめておけばいいとかで書くことをやめてしまいます。でも、先日お世話になったりしている人に「伝えたいこと」がある人はエネルギッシュだよね〜って話をされて・・・

もうちょっと頑張りたいなーって思って書くことにしました。

他者の正しさに引っ張られる

いっつも思うことがある。自分は力不足で浅くしか考えられない。

これまでの人生、自分なりには頑張っていろんなことにチャレンジしてきたつもりです。やりたいことだっって精一杯向き合ってきた。やりたくないことだって意味を考えて筋が通れば、必死に取り組んできた。

でも、だいたいのことで同じ場を経験している他者のほうが視座が高い。言葉で表すと”井の中の蛙”状態。だから、いつもいいですね!そうしましょうと会議や打ち合わせ言ってしまう。それが積み重なっていくと時に考えることを止めてしまうこともあったりする。

だから、意味や内容を深く理解せずとも、なんとなく筋が通っていれば「やります」「いいと思います」と言ってきた。もしかしたら、その中には意見は出せなかったけれど・・・せめてそれくらいはやらせてください!みたいな意味も込められていたのかもしれない。それには役立たたづにはなりたくないという思いもあったのかもしれない。やれば自分の経験と力になるかもしれないという思いもあったのかもしれない。真意はいろいろあった。

でも、引き受けてみてから気づく。

これって俺がやる意味あるんだっけ?なんだか結局自分の物に出来ていない。口車に載せられていろいろやっちゃってる?結果も出せていないし形にもならない。結果捨て駒みたいだったのかな?なんで”やる”なんて言っちゃったんだろう。

もちろんこんなことは日常茶飯事なのかもしれない生きていれば。でも、一つひとつ振り返って、最後はこれで心を閉じてしまう言葉がある。

最後は自分がやるって決めたんだ

どんな状況下であれ、大変だって、泣きたくたって、苦しくたって、そう思って乗り越えられないなりに、乗り越えてきた。そして、ここで私が私で有るための思考は停止する。最後まで心を削ってでもやりきる。

でも、そんな生き方はちょっと疲れてしまう。いい疲れは大事だけれど、それは自分にとってはいい生き方でもなければ、いい疲れでもない。

伝えることのトライ&エラー

だから、復学してからの2年間でリハビリをしてきた。ちゃんと伝えるために、自分はこう思うから違うと思います。自分はこう考えるから一緒には出来ません。そんなことの繰り返しだけれど今でも勇気がないことも沢山。でも、それが誰かの正しさを受け入れるだけでない。ちゃんと自分の正しさを持つことにつながるのだと思う。

来春から社会人だ

来春からは新しい門出、ずーっと過ごしてきた自由な学生とはわけが違う。働きそれに対して価値をだし対価と言葉と結果をいただく。

正直この先、どんな人生になるのか?どんな人生にしたいのか?わからないでも、それでいいんだと思うんだ。自分なりにがんばろう。


Ps.あんまりマイナスなことを書くのは気が引ける

マイナスな部分は悪影響をもたらすから人前では見せないようにした方がいい。知らずのうちに僕の心には、そんな気持ちが練り込まれていた。だから、思っても心で留めて。留めて。留めて。留めて。留める。




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