見出し画像

束の間の春。

今日は春だったのにね。もう今日じゃない。
そしたらまた今日春で、天気予報みたらそのうち終わりそう。
春か春じゃないか論争を個人的にしていく。
予報の時点で春だけどやっぱり外出て思う春がいい。冬物しまわせてくれ。人生変えてくれみたいに。(言ってない)

目的というものは、他人に決めてもらうものではないと思うのです。
たまたま言語化した対話の中で気づくこともあった。哲学はいつだって対話の中で生まれる。いつだってとかはリズムだけど。ソクラテスもそんなこと言ってた。言ってなかったか。
幸せに暮らすのに必要なものにはもうだいぶ気づけてる気はしてるけど、守れるものでもないなって。足りてるのに足りないみたいに生きてるね。

どうでもよくなりうる。

好き嫌いはよくないと教わってきた訳だけど、上下で生きてる人間に幸せで負ける気がしない。上だけが正しいと思っている人間に、この世界の美しさは伝わらないんだろう。
芸術があって、ギリよかったと思う。この世界。明確な上下があって収斂されていく世界、あるとしたらつまらなすぎた。

聴くなら春、最初に出会ったのも春な気がするし。少し雨が降るような春によく似合う。わたしは春が好きすぎるから、春は無条件に楽しいけど、春は楽しいだけじゃないって思い出させてくれる。よく考えたらそんな、春だから好き。次、好きなものに名前つけるなら、絶対春にしよう。なにがあっても、春のことは絶対好きでいられるから。

テクニックとかじゃなくふつうに飽きてるだけなのに、押してダメなら引いてみろみたいな効果を勝手に付加するのやめてほしい。でも会ったら好き。かわいくてかわいい。やってみたことないことは、全部やってみてもいいのかも。なんでも、1回はできるって言うしね。毒きのこを食べるのも、死ぬのも。

よくここまで好きでこれましたよね。こんな状態で。3年くらい経ったでしょうかね。数えてないねえ。ちゃんと好きだって思える。止まってるけど。時間を止めてる。でもまた戻って来れそう。今日note書いてるし。無駄なアプリとか、急に興味がなくなったから消そうかな。時間の使い方が、雑になってる。全部、春が助けてくれるのかも。コーヒー飲まなくても、春なら書ける。

家を出るときにエアコンのリモコンの電池が切れてて、消せないまま出ることになるかと思った。最終、テレビのリモコンの電池を奪うという機転ね。あんま観ないしな。

服が青すぎて画面かと思った。昔人間。誰にも話せないことを話せる場所だここは。再確認って言葉、あんまり好きじゃないな。無機質すぎるから。
着たい服を着てる。やりたいことやってるし、歳とか気にしてるつもりはないのに、年下と話すときだけはなんか引け目があるね。分かり合えないってなんとなくわかっているからかな。

体調がいいと体調がよくない日があったことがわかる。逆の方がありそうだけど。わたしって本当に健康なんですよね。まさに。

わたしが死んだら、わたしの推しは少しも心配せずにファン辞めたのかなって思ってくれるかな。その方がいいと思う。
希死念慮って字面格好良すぎる。もっとダサくした方がいい。だって、憧れだけで死んじゃうから。

勝手に店名オウムだと思ってるカフェにいく。
アボカドトーストの気分だから。地図見なくても行けるのに地図見たらなぜか迷子になった、なぜ。まっすぐ歩いてるつもりが斜めに歩かされてるみたいな、迷宮みたいな街。たぶんだけどわたしがこんなに迷子になるのはきつねかたぬきに化かされてるから。

コーヒー美味しいから全部いいね。
アイスコーヒーがおいしいね、春。春のキャッチコピー。春だからアイスコーヒーがおいしくて、アイスコーヒーがおいしいということは春。逆も然り。ナッティー。味より形容が好きかも。さらにはアメリカーノ。アイスコーヒー飲みたいときには、アメリカーノの軽さがいいよね。
アボカドトーストは今日もちゃんとおいしいな?おいしいだろうと思って来てるのにちゃんとおいしい。裏切らない。春を食べている味。

ニェットと思うことがあるね。ないか。

終わりにしよう。もう。この日記をさ。今日も約束は守れなかった。けどまたね。春のうちに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?