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アドバイスには心に響くタイミングがある

苦しいとき、悲しいとき、落ち込んでいるときに誰かからの助言で救われることってありますよね。


もらえたアドバイスや相手の意見が、そのときの自分の悩みのピースにすっぽりとはまって心が軽くなる。
それって相手からもらえた助言が、そのときの自分の状態にとって適切なタイミングと内容である場合なのかなって考えたんです。

その一方で、上手くピースがはまらないこともあると思うんです。

・どういう意味?
・わたしはそうだと思わないんだけどな…
・今のわたしにはその言葉はちょっとキツい…

なぜこんなこと話しているのかというと、うつの症状がひどかった時に知人から言われた言葉で理解できない言葉がいくつもありました。


それって今考えると、“理解できない”のではなく“理解したくない”心情があったのかなと。

拒絶することで自分の正しさを貫きたかった。
拒絶することで自分にとって不都合な真実と向き合わなかった。
拒絶することで苦しみから一時的に解放されていた(もしくは解放された気でいた)。

でも時間が経つことで、あのとき理解できなかった言葉が「確かにそうだな」とゆっくり咀嚼できることがあります。
そのときにずっと空いていたピースの穴が、ちょっとずつ埋まってくる感覚を覚えるんですよね。

もし適切なタイミングでなかったときは正直耳障りなものです。
これは直接人から言われるアドバイスや意見だけでなく、本でも同じことが言えると思ってます。

だから、耳の痛さに任せて“なんてこと言ってくるんだ!”と批評してしまうのではなく「自分にとって、今はそのアドバイスを受け取るタイミングじゃなかったんだ」と考えたいです。


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