見出し画像

ふとん文学 第六章~美人じゃないと損してるのか? 私の車窓から~

今日は『お顔について、どのように心で取り扱うべきなのか?』
とふわりと、電車で想いました。

広告で、Instagram、SNS、美しい顔にばかりに囲まれます。デパートに行ってもたくさんのポスターに囲まれ、とっても不思議な気分です。

いつこの時代終わるかなんて、わからないし、本能的なものもあるかもですね。
でもそれについて損してる気分になったり、苦しめられるのだけは、避けたいです。楽しく生きたいから。好きにならなくても、気持ちを分解することで、小さな傷から解放したいと思います。

私については、こんなことを考えてるのに、不思議なことに美人画ばっかり描いてしまいます。
そのことについては、なぜなのかわからず、ずっと辛かったのです。

可愛い絵ばかり描いちゃうのって恐らく、
私は、自分のお顔は100% コンプレックスだからだと思う。それは濃度の高い現役ジュースみたいに透き通る事のないゆるぎない気持ち。

100%元気なんて、私の人生にないけれど、100%コンプレックスはあります。(おい、誇るな、と怒られそう)
きっと口にしたら「うーまずい~」ってなる青汁系かもですね。

部位の話で言うと、目の細さ、ほっぺのお肉、ちょっと出っ歯で、分厚い唇、お鼻は団子なので、理想は凄く鼻を高くしてみたいですね。

『いったい顔のパーツで何処を好きになれって言うのよ?あんたなんか大っ嫌い』はきっと100億万回唱えましたね。エヴァのアスカからのシンジ君へのあたり方より、自分には厳しかったですよ。

昔、衝撃ビフォーアフター!という番組をみては、『お金があったらやりたい』と思って大ファンでした。夢は夢のままでした。
何故か全く整形してないので忘れてたのかもですね。あ、お金が無かったからか。それすらも忘れてます。痛いのも怖いですもんね。

最近、頬に大きなシミまでできたり、体重が増してきて、何もかも手が負えません。それほど努力もしてきていないのもありますよね。

されど、そんな自分が今は結構悪くないなと思います。または、顔にそこまで興味ないです。

自分の顔ばかり気にしていた少女が、なぜそこまで行きついたのか?

せっかくタイトルにしたので、
私の車窓からをお送りましょうか。顔で傷ついてる人すべてにお送りしたいです。

いつも通り長くてごめんなさいね。

さかのぼる事30年近く前、
『神様、このリカちゃん人形みたいなお顔にしてくださらなかったの、なんでですか?』
と9歳くらいに心底思いました。神様を信じてたかは謎ですが。都合良い時だけ、神様が出てくる脳です。

それまでは、「かわいいね~」と会う人、皆さま、おっしゃるものだから、自分を世界一可愛いと思ってました。

そのころから、言われなくなってきて、幼いから可愛いだけだったことを9歳頃の私は知り、傷ついたのだと思います。

それから、皆が読んでる少女漫画「りぼん」と、「なかよし」を卒業して、
高校生が出ている「ピチレモン」「プチセブン」を小4で買うようになります。世界一可愛いわけではなかった、自分が恐ろしくて未来が怖くて、嫌でしょうがなかったのでしょう。または、違う誰かになりたかったのでしょう。



お小遣いは全てメイク道具へと消えました。

田舎なので、スーパーで並んでる全てが欲しくなり、恐らく生活費に貰ってたお金すら使っておりました。5000円は秒で消えます。(生活費ってどんな小学生なんでしょうね。複雑な家庭でしたね。)

眉毛を整えたら、さすがに誰も同年代でそんな人が居なかったので、いじめられました。どんな変な眉毛だったのか思い出せませんが、『変なの~』と皆が言ってきたのは覚えてます。
皆は何故私が、そんなことを急にしたのか、びっくりしたんでしょうね。今は、わかるような気がします。

今でもメイクが好きで、ときめいたり、あの頃、学んだ全てがイラストに生きてるので感謝しておりますね。
今は、眉毛は整えるくらいでほぼ剃らない。長年雑誌を見ていたら、ファッションやメイクの移り変わりを知っていたから、抜くのは良くないと思っていて、ずっと剃る派を貫いた。今は、かなり太眉で、昭和のようになるので自然な眉毛を今は、愛してます。全私、ときめかせてくれて、その時の傷を癒してくれたファッション雑誌たちに感謝。

お話は戻り、高校の時、付き合った人にも
「もう少し目が大きかったらよかったのに」とか

アイラインひいてないときは
「凄く眠そうに見える」となぜか寝起きと思われておりました。もしかして、目があいてるようにみえないのでしょうか?

『あの子はすっぴんでもキラキラのお目眼をしてるのに?私って何?こけし!?』となりましたよ。

その時、苦し紛れに「人に変わらない部分を言ったら傷つくだけだから駄目だよ」と伝えました。
『私は良いが、これから、彼と出会う女の子たちにそんな思いをさせたくない。』とまだ別れてもないのに思ってしまいました。そして、別れました~!おめでとうな別れですね。
付き合う人も未熟だったのでしょう。私も未熟でしたが、よく言えた!よくわかってなかったのにね。と今は褒めたいですね。

「何度も私の顔でどこが好き?」とコンプレックスを抱えてると、顔ばっかり気になるんでしょうね。
彼氏にしつこく聞いて、

「アゴかなぁ…」

と言われました。
『アゴ!?と、それしかない!?』と、全然嬉しくもなんともないので、正直、花の高校生だし、もう他に少しあると思ってたので、呆然としました。

今考えたら、確かにスルメばかり食べてた割にかみ合わせかアゴが小さいのはチャームポイントかもですね。頑張って探して答えてくれたこと感謝してますよ。

身内には「美人は性格が良い」と言われました。
美人でない自分は性格が悪いのはしょうがない事だと思いましたね。

とてもひねくれておりました。今思うと、あの頃の世間一般的なイメージを一人が代弁して言っただけだと思います。環境がひねくれさせることもあるよね。思考も追いついてないし、全て自分事になってしまう。

造形が美しいと、こういった言葉にぶち当たる事が少ないかもなので、反対の感情が生まれにくいのかもです。
ひねくれ組は、そういった価値観を自分事にとらえて、否定された気分になる時が多かった人だと思いますし、私は、完璧にそっちの組長ですね。

そうじゃない人もいるのだろうか?皆環境がそれぞれ元々用意されたパッケージで変わってしまうよね。それでも素直な気持ちが育った人は凄いと思うし、会いたいです。

20代になってから、顔の話を皆がほめそやしてる事に違和感ありました。
私も雑誌を見れば「可愛い!」と思うし、モデルさん達が大好きでした。「こうなりたいなぁ」が増えてくたびに、なれなくて、少し心がさみしかった。

『顔で人柄を計られたら、何の居場所もない。』と、ポツンとしていたのでしょうね。

そのころも「顔は、骨と肉だから、あまり興味ない」と強がっていましたよ。

特に恋愛市場では、顔のいい子との恋バナの内容『私のと全然違うやん。』とショックを受けました。

アドバイスを聞いて実行しても、私は上手くいきません。私の不器用さもあるのでしょう。
状況が違うと、同じ手は使えない事がわかったのは学びです。

そこまで、性格が純粋でもなかったし、家庭的でも、おだてるのが上手いわけでもないので、顔だけでもないのですが、モテる事もない日々でしたね。

また、美人な子といると、私は影武者みたいになる時が何度もありました。
『あぁ、そっか、皆私の顔全然、視界にも入らないんだなぁ』と、心がポツンと孤独になるようでした。友達の顔は覚えていても私のは覚えられません。

そういう顔なのだと思いました。

今でも、お話が全く振られない時、ポツンとしますし、地味な格好してるので、とらえどころがなかったり、興味がわかないのだと思います。
今は、そういう感覚で人を見る方を、別けるフィルターみたいになるので、この影武者みたいな地味な身なりが気に入ってます。

あと、さすがに、とらえどころ無さすぎるので、きっかけがあったら、自分からお話しかけるようにしてますね。愛嬌だけは持っている気がする。
会話が大好きでよかった。なるべく自分の人柄を育てたいと思ってます。

散々傷ついてきて30代はどうでしょうか。
フェミニズム、ルッキズム、ボディポジティブなどの言葉が出てきて、自分が感じてた違和感が、感じててもいいんだよ。と言われたようで、すっかり溶けていく印象がありました。

それでもまだ、自分の心の置き所がわからず、美人が『得している』気がしたり、自分が損してるような感覚の間で、もやついてる部分もありましたが、最近ちょっと霧が晴れてきました。

それは、色々な人に話を伺う機会が多かったことで、顔の造形が美しい人とも心友になる事が増えたことが大きいかもです。

皆、状況が違えど、何かしらで悩んでいます。まさかだったのが、
凄くきれいな顔について、コンプレックスの人もいます。

顔ばかり褒められることについてどう思うのか聞いてみたら、
「そこだけしか褒めるところないから、とりあえず言ってるように感じる。

小さなころ目が大きいと言われすぎて、嫌になってまつ毛抜いてたりした。」と友人から聞き、

眠そうに見えるこけしアイズの私とは違う、リカちゃんみたいに可愛いらしいおメメだからこそ、違う痛みがズシンときましたね。勝手に良いものだ…!と憧れて、ごめんとすら思います。

そのころから『人それぞれ場所は違えど、悩みは尽きないな。』ということに気づきました。

【経済的や、恋愛的には顔が良い事が運が良さそうな印象】はあるものの、心をみてもらうには凄く難しい部分もあるんだろうな。と勝手に思います。

常に人の視線に見舞われることも、もしかしたら大変な事かもしれません。私は視界に入らないから気楽、という所もあると思います。

私に関しては、昔はできなかったけれど、一人で夜中道を歩いても最近は平気になり、性別を飛び越えた自由をゲットしたようで嬉しくなります。
それまでは街で声を掛けられるたび、家まで来ないか怖がっていました。実際、ついてこられた事もありますし、数多くの都会に住む方が起きてる事実だと思います。

これからは、あまり皆がよくみられてなかった内面について注力していきたいし、恐らくそれを少しはしているから私は友人いるのでしょうね。

見た目の差を全く気にせず仲良くしてくれる友人たちに感謝。そこで線を引く人もみたことがあります。それはそれで現代の日本では、その人にとっては有益なことなのでしょうから、非難するつもりはないですね。私とは関わらない人なだけで。

人それぞれ、今の状況ってのはTwitterじゃわからないので、皆それぞれバッチリ交わる事が無いからこそ、会話して教えてもらえることで、少しでも、ひとりじゃない感に安心してもらえたら嬉しいなと思うようになりました。

現代って、【鏡、スマホの写真、ズーム】などで自分の顔を観る機会は多すぎるくらいにある時代だけれど、なるべくこれからは自分ばかりを観ないで、周りにいる人の表情が観たいと思います。

極端なことを言うと、自分が死ぬ前に、走馬灯があると思っているのですが、なるべく自分の顔ばっかり見てた人生が、よみがえるだけで終わらないようにしたいなと思います。

多分、笑顔だった友達とかとの別れを恋しく思いたいのでしょう。そんな風に人生に恋したいです。なので、私の表情や造形はさておき、皆の顔が鏡みたいなものだと思います。

なので自分の顔が今はとてつもなくどうでも良いです。(清潔感以外。)

私が、どんな生き方してるか、どんな接し方してるか、周りの人の表情でわかるので、鏡って私の人生には、恐らくとっても不要そうです。

また変わると思うんですが、今日の心の置き所はこんな感じ。雁字搦めになってた時よりは、だいぶ楽になりましたよ。

お顔コンプレックスの方に、伝わったり心がちょっとでも軽くなるように、届いたらいいな~。

イラストについては、多分、美人を描いてるのは楽しいから変わらないでしょうね。自分が一生なることが出来ないから、あこがれ続けられるでしょうし、そこまでの熱って中々無いものだと思うから

それはそれで今は良いのかな~と、思ってます。人間って毎日変わるのでいつか絵が変わっていくかもですが、今日はそんな気持ち。

どう考えても、コンプレックスは、私にとっては、私にしか見えない視点をくれる、誰とも違う付加価値でしたね。
こんな風に観える景色ですら、そのおかげで憧れの花が咲く。

36歳ってこんな砕けて考えれるから、面白いね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?