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ふとん文学 第七章~自分らしくを良いところだけと思っていた心の戦国時代について~

自分らしいって、なんなんぜよ。

自分らしいって言葉も広くて海のようなので私の解釈を書いとこう。広い言葉ってしんどい。パンチがあるくせに顔がない。
お前は誰なんだ?とおもってしまう。結論より、中身だけほしい。

自分らしいって、なんだろね。

それぞれの状況によって私は、何人もいるんだけど、それとはちょっと違う話をしますね。

自分らしいって、言葉が
20代のとき、捉えられなくて疲れたから、疲れてない今書いときたいね。どこの本にも書いてなかった気がする。

そして、誰しもそれがあってるとは思わないけれども、私に近い人は合ってるかもね?荒治療なので、
真似するの危険かもだが。

私は今は自分らしいって、思うのよね。

昔々は、私はよき人間になりたかった。
朝早起きできて、
やるときめたことは最後まで貫き、
女子力や生活力を上げて、
ニコニコして、人に優しくしたかった。
つま先で立ってるような感覚ね。

そんな低そうで高い目標を常に立てていて、サラリーマンになればそれは容易いと思ってたが、いつも牢獄にいるみたいだった。

お金を稼いだり、人と共同でなにかをするには凄くサバイバルできる要素なのだが、私は毎日壊れそうだった。

いとことかに、辞めて京都にきたらいい!どこででもやってけるとおもう。

などと言われても、私なんてどこにも需要ないし、ここにしかいれないんだろう。と思考停止するくらいには疲れきっていた。

疲れはてて、やりたいことができた!と逃げるように正社員をやめて、

色々なお仕事してるんだが、

変わったのは、
朝弱い話しもできるようになり、あとは苦手なことも隠さず言えるようになったこと。

昔は全然言えなかった。なるべくそこに居続けるために武装していたかったし、

武装しても、本来の自分が隠せなくて、
エラーが度々起きるので、毎日が戦国時代。傷だらけの、とてつもない心の戦だった。

まさかね、駄目なところ言えるようになるのが自分らしさなんて知らなかったね。

なりたい自分になるのは素敵なのだけども、成長欲を守れるほど自分へ愛情も、他人から受けた愛情も感じなかった。

多分、すごく愛された経験がないと、
つま先立ちは、難しいとおもうね。
そこは外部要因なので、私はまずは、後天的に内部的要素のみで自分を大事にすることを試みたんだろうね。

後付けだけども、思考家にしか言葉に残せないなら、私はそれをしたい。

まずは、しっかり嫌なところを社会でも晒すようになり、自分探しをどこかの国にいってする必要がなくなった。

駄目なところが芯となって、ピンのようになったのである。

良い自分だけって、偽りだから、めちゃくちゃ不安定なのだけど、

私の社会的に悪いところって消えることがないから、安定供給です。
社会とは関係なかったら個性と言えるかな。
社会と切り離すと、芸術と呼ばれてる場所かもしれない。

そしたら、そこを受け入れてもらった人には、その分、他のことなんでもします!という気分になるのである。思いが自動生成される。

オールマイティじゃないので断ることも多いけれども、全て受けるのであれば正社員やってるから、精査してたかな。

私の苦手を、簡単にできる人が助けてくれて、それ以外に私が簡単に出来ることが仕事でまわってくるようになった。

そしたらずっと褒められるようになったのよね。私ができることが大半なのでエラーが起きにくくなった。

たまに驚くような、他人には理解できない、私もワケわからん!と思うような、失敗してるけれども、かなり減ったと思う。

毎日が楽しくなった。社会的にやくのたたない
私の悪いところが、私の一番の個性になって愛を感じるツールになったのね。

多分愛情深いとこで育てられた人とかは違うかもなぁとおもう。私は土台がない感覚なの。スカスカの建物みたいな人間だった。

愛情が添え木になるものね。

それがあんまりない自覚があって、自分の悪いところに添え木にした。

歪な人ですね。

褒められるようになったのは、人に助けてもらっているという意識が咲いたから。それは
草原の愛情のなかにいるみたいで凄く楽しい。

関わる全てに感謝しているね

特にTwitterには、感謝を刻んでる。

昔は『なんで私こんなに頑張ってるのに認められないの!?』と思ってたよ。万年オギャバブよね。

今は努力せずにできることのなかで、時を重ねてる。それが努力とは思わないけども、他人からみたらそうみえるかもしれない。

何となく続いてる。ことって自分にとって努力じゃないから、他人からその評価されても、不思議。それがいつも突然褒められたように感じるのだと思う。ありがたく感じれる心を得ています。

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